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(凡例)
・テキストは四庫全書本の『御製繙譯論語』を使用
・満文・満文和訳・漢文・漢文訓読・漢文現代語訳の順に掲載。
・満文はメーレンドルフ式ローマ字で転記、逐語訳はしないが、できるだけ直訳。
・満文和訳文、漢文現代語訳の[ ]内は管理人が補った場所。
・漢文では正字体を使用し、訓読と現代語訳では新字体を使用する。訓読文のルビは( )で示す。
・漢文訓読と漢文現代語訳は論語の世界と金谷治訳注『論語』を参考とした。
・適宜改行。原文の改行には必ずしも従わない。
・各句ごとに点線で区切りを入れる。
 
参考文献
(史料)
『御製繙譯論語』(『欽定繙譯五経四書』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987) 
 
(論著・注釈等)
朱熹『四書章句集注』(新注)新編諸子集成(第一輯) 中華書局 1983
金谷治訳注『論語』岩波文庫 202‐1 岩波書店 1963(2003年第7刷)
金周源(大塚忠蔵訳) 「満文小学研究」(『満族史研究』第1号 2002)
 
(満文教科書・辞書等)
河内良弘 著 清瀬義三郎則府、愛新覚羅烏拉熙春 助編『満洲語文語文典』京都大学学術出版会 1996
安双成 主編『満漢大辞典』遼寧民族出版社 1993
劉厚生 等編『簡明満漢辞典』河南大学出版社 1988

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御製繙譯論語(四庫全書本)  卷一
 
leolen gisuren bithe.dergi.
論語  上
tacingga ujui fiyelen
学ぶこと 第一 篇
學而第一

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(満文)

fudzi hendume,tacimbime erinderi uribuci,inu urgun waka. gucuse bifi goro baci jici,inu sebjen waka.niyalma sarkū seme korsorakū oci,inu ambasa saisa waka.


先生がいうには、「学んだときそのつど復習する、本当にうれしいではないか。友人達が遠いところからきたら、本当に楽しいではないか。人が(自分を)知らないからといって恨まないのであれば、まさに君子ではないか」。

※fudzi:(漢)夫子   inu…waka : まさに(本当に)~ではないのか。不‧‧‧‧‧‧嗎?(反語・反問)ambasa saisa:君子

(漢文)

子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。

子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。

先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね[そのたびに理解が深まって向上していくのだから]。だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね[同じ道について語り合えるから]。人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人にはできないことだから]」

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(満文)

iodzi hendume,tere yabun,hiyoošun deocin bime,dergi be necire de amurangge komso dere.dergi be necire de amuran akū bime,facuhūn be deribure de amurangge akū kai.ambasa saisa fulehe be kicumbi.fulehe ilici doro banjimbi.hiyoošun deocin,serengge,tere gosin be yabun fulehe dere.hiyoošun deocin,serengge,tere gosin be yabun fulehe dere.

有子がいうには、「その行いが孝悌であって、目上のものにたてつくことを好むものは少ないだろう。目上のものにたてつく好みがないのに、乱を起こすのを好む者はいないのである。君子は根本で努力する。根本が立てば道が生まれる。孝悌というもの、それが仁愛の行いの根本であろう」。

※iodzi:有子 hiyoošun:(漢)孝順、孝、親孝行 deocin:悌。兄に弟として仕える礼  dergi:ここでは「目上」、「お上」の意。fulehe:(植物の)根、根本(こんぽん) 

(漢文)

有子曰其為人也孝弟而好犯上者鮮矣、不好犯上而好作亂者未之有也、君子務本本立而道生、孝弟也者其為仁之本與。

有子が曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上(かみ)を犯すことを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずしてして乱を作(な)すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本(もと)を務む。本(もと)立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁の本たるか。

有子がいわれた、「その人柄が孝行悌順でありながら、目上に逆らうことを好むような者は、ほとんど無い。目上に逆らうことを好まないのに、乱れを起こすことを好むような者は、めったに無い。君子は根本のことに努力する、根本が定まって初めて[進むべき]道もはっきりする。孝と悌というものこそ、人徳の根本であろう」 。

※其為仁之本與:朱熹の新注では「仁を為(おこ)なう本か」と読む。満洲語訳でも新注に従い「tere gosin be yabun fulehe dere. それが仁愛の行いの根本であろう」としている。

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(満文)

fudzi hendume,faksi gisun, araha cira,gosin  komso dere.

先生がいうには、「巧みな言葉、作った表情、仁愛は少ないではないか」。

(漢文)

子曰 巧言令色鮮矣仁。

子の曰わく、巧言令色、鮮(すく)なし仁。

先生がいわれた、「口がうまくて愛想のいい顔つきの者には、ほとんど無いものだよ、仁の徳は」。

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(満文)

ts’engdzi hendume,bi ineggideri ilan hacin be,mini beyede  kimcimbi.niyalma jalin bodoro de,tondo akū ayoo.gucu gargan i baru guculere de,akdun akū ayoo.ulahangge be ureburakū ayoo.ulahangge be ureburakū ayoo.

曾子が言うには、「私は毎日三つの件で、自分自身を検討する。人のために計画を立てるとき、公平さを欠いているのではないか。友人たちに付き合うとき、誠信がないのではないか。[人に]伝えたことを[実は自分では]おさらいをしていないのではないか」。

※ ts’engdzi:曾子 kimcimbi:詳しく検討する、考察する ayoo :(心配・不安の語気) ~なのではないか、~なのではなかろうか。

(漢文)

曾子曰吾日三省吾身、為人謀而不忠乎、與朋友交而不信乎、傳不習乎。

曾子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。

曾子がいわれた、「私は毎日何度も我が身について反省する。人の為に考えてあげて真心からできなかったのではないか。友達と交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを[受け売りで]人に教えたのではないかと」。

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(満文)

fudzi hendume,minggan sejengge gurun be dasara de,baita be ginggunlembime akdun oso.kemneme baitalambime niyalma be gosi.irgen be takūrara de erile.

先生が言うには、「千台の車の国を治めるには事業を謹んで、信頼があるようにせよ。節約して事業を行い人を慈しめ。民を使役するのは時期に応じてせよ」。

(漢文)

子曰道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。

子の曰わく、千乗の国を道びくに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。

先生がいわれた、「諸侯の国を治めるには、事業を慎重にして信頼され、費用を節約して人々をいつくしみ、人民を使役するにも適当な時節にすることだ」