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以前、遼陽の東京陵を見学したとき(5月29日日記参照)、ヌルハチの弟シュルガチ(šurgaci 碑文ではšurhaci, 漢字表記は舒爾哈斉または舒爾哈赤、碑文では「舒尓哈齊」)の墓の碑亭の満漢合璧碑文を写してきました。訳してみたので公開します。

凡例
1.満洲語の入力は、メーレンドルフ式ローマ字を用いる。
2.史料中の改行は/で示す。
3.史料中の抬頭は○で示す。

満文

ambalinggū darhan baturu cin wang ni bei bithe./gūnici gurun boo,uksun,erdemungge

莊    darhan baturu親   王 の 碑 文  惟うに 国 家は 宗室、有徳の者

urse be iletuleme,mukūn be wesimbuleme, bisire de wesihun jergi bure ,akū oho

たち を顕彰し、一族のものを尊重して、  高位にせんとするも、   亡くなった

manggi amcame fungnengge fulehe gargan be jiramilara, dosholome gosire

ので、  追    封し    本家、連枝 を厚遇して、        寵愛し 慈しむこと

be tuwaburengge. /darhan baturu šurhaci si/○taidzu dergi hūwangdi i banjiha deo,

を明らかにするものである。darhan baturu シュルガチ汝は太祖高皇帝  の胞(同母)弟、

mini ecike mafa。jalan wesihun bime, abkai fisen de umesi hanci.geli sain jui be ujifi,

わが叔祖(大叔父)。世代が上であり  天潢(皇族)に 極めて近しい。また良き子を養い、

amba gung be ilibuha be dahame,giyan i amcame wesihulefi, ginggun erdemu be iletuleci

大  功 を 立てたことを記録し、よろしく 追   崇して        謹   徳  を明らかに

acambi./tuttu ofi cohome ambalinggū cin wang seme nonggime fungnefi,

すべきである。よって特に   荘     親 王    とし、 加    封して

fiyanji dalikūi jergi de obufi, omosi de werihe sain be iletulehe. šeri fejergi de eldembume,

藩  屏  の 位 とし、子孫 に 残した  善 を明らかにした。泉 下 に祖先の名を輝かせ、

mukūn be ujelere gosin be badarabuha.bei wehe de/folofi enteheme mohon akū tutabuha.

一族     を   敬う   仁    を 広めた。     碑  石 に  彫って 永く 果て   なく 残した。

/ijishūn dasan i juwan emuci aniya ,ilan biyai juwan de ilibuha.

順   治  十   一  年、 三  月 十日 に立てた。

darhan baturu:シュルガチの生前の称号
darhan:モンゴル語、大きな功績を挙げたものへの称号
baturu:勇者
mukūn:同姓の一族、仲間。gargan:仲間、枝、支族。

(満文は急いで写し取ったので間違いがあるかもしれません)

漢文(標点は筆者)
莊達尓漢把兔魯親王碑/惟國家褒顕宗英、推崇皇族、生頒榮秩、歿予追封、所以篤本支昭親愛也。
尓達尓漢把兔魯舒尓哈齊乃/太祖高皇帝胞弟、朕之叔祖、糸序既尊天潢孔切、更生賢胤、克奏膚功。宜用追崇彰祇徳茲特/加封尓為莊親王、列在藩屏、聿展貽孫之媺光、施泉壤允敷敦族之仁。勒諸貞 永垂不朽順治十一年三月初十日立。

東京陵碑文 001東京陵碑文 066東京陵碑文 085