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 グルマフン Gūlmahūn 古爾馬渾(本名:鄭命寿) 生没年未詳
 
 朝鮮平安道義州殷山の人。天命年間(1616~1626)に後金の捕虜となって以来、通訳・外交官として清・朝鮮間の交渉に活躍(というより「暗躍」)。清の虎の威を借る言動が目立ち、朝鮮の憎しみの的となった。
 
 
 出身
 
 グルマフンとはウサギまたは干支の卯を意味する満洲語で、当時の満洲人の間ではわりあいありふれた人名だったらしい(満洲人は一般に動物の名を好む)。
 
 そのため、清初の資料に現れる多くの「グルマフン」なる人名のうち誰が鄭命寿なのかが良くわからず、そのため彼の天聡年間(1627~1635)初期までの事跡は不明瞭のままである。
 
 朝鮮側の記録によれば、鄭命寿はもと朝鮮平安道殷山県の官奴で、のち後金の捕虜となったらしい。
 サルフの戦いで捕虜となったとの説もあるが推測の域を出ない。ただ遅くとも天命年間末期にはすでに後金に仕えていたようだ。
 
 
 汚れた通訳
 
 鄭命寿は清に仕えて漢語、満洲語の通訳となり、名もグルマフンと改めた。
 本文中では以下グルマフンに統一する。
 
 天聡七年(朝鮮仁祖十一年 1633)、彼は通事(通訳)として朝鮮に赴いているがこのときの地位はそれほど高いものではなかった。
 このとき彼とともに朝鮮に赴いたのが鑲白旗(のち正白旗)の巨頭イングルダイ(英俄爾岱)で、以後グルマフンは彼の後ろ盾を得て出世することになる。
 
 崇德元年(仁祖十四年 1636)、後金(満洲族)のハン、ホンタイジは満蒙漢三族を包摂する大清皇帝として改めて即位した。清は皇帝即位を認めようとしない朝鮮に侵攻、これを服属させた。以後朝鮮は清から課せられた貢物、さらに戦争の際の物資、食糧と兵員の供出という多大な負担にあえぐこととなった
 
 翌崇德二年、朝鮮との和平交渉に赴いたイングルダイ・グルマフン一行は横暴な言動を繰り返した。特にグルマフンは通訳という立場を利用して、清との交渉に便宜を図る代わりに国王、王族その他から銀一千両の賄賂をふんだくっている。
 
 そして、この和議以降、この二人が朝鮮に来るたびごとに、多額の賄賂を支払うことが慣習化した。朝鮮としては、交渉役イングルダイと通訳グルマフンに賄賂を贈ることで、少しでも貢納を減らそうとしたのである。
 
 一例を挙げる。順治二年(仁祖二十三年 1645)、清朝は中原に進出したものの、まだ江南の穀倉地帯を掌握するには至っておらず、食糧危機が発生した。清は朝鮮に対し米20万石の供出を要求したが、朝鮮はグルマフンに賄賂(最低でも銀6000両は下らないという)を送り、便宜を図ってもらうようにした。これによりグルマフンは清側に口利きをして、供出高を10万石に半減させている。
 
 朝鮮としてはこれでも安い取引だったのかもしれないが。
 
  
 朝鮮政界の黒幕
 
 一方でグルマフンは清朝の権力を背景に、朝鮮での清朝の代理人として君臨。内政に露骨に干渉するようになった。
 
 朝鮮仁祖十九年(清崇德六年 1641)、グルマフンは対清強硬派の金尚憲を拘留し、清へ移送。彼は四年後(順治二年 1645)にようやく本国に帰還している。また、その他の対清強硬派とみなされた大臣に対しても解職や左遷を要求し、清には逆らえない朝鮮はただ黙って従うのみだった。
 
 
 そして、清の実力を背景に、朝鮮に対し自分に高い官位を与えさせたり、国内に残っている一族郎党を高位高官につけさせ、次第に政界の黒幕的存在となっていく。
 
 グルマフンは仁祖十七年(清崇德四年 1639)には簽知中枢府事(正三品)、さらに同知中枢府事(従二品)を授けられ、同二十年(崇德七年 1642)には最高位の領中枢府事(正一品)の官位を与えられている。両班でもない官奴(奴婢)出身者がこのような官職を得ることは通常では絶対考えられない。つまり一種の賄賂である。
 
 彼の母も仁祖十九年(清崇德六年 1641)に貞夫人の位を追贈。彼の妻の兄奉永雲ももと官奴であったが、同二十年には寧遠郡守、さらにはグルマフンの意向により彼の故郷の殷川郡守に任ぜられた。
 
 甥の李玉錬も同二十年に文化県令に任じられ、三年後の仁祖二十三年(順治二年 1645)には順川郡守に任じられた。同じ年、グルマフンは朝鮮に強制してこの甥に通政大夫(正三品)の位を与えさせた。李玉練はこのときわずか二十三歳。しかも伯父の権力をバックに同僚を侮辱し、我が物顔に振舞ったという。
 
  さらには、仁祖二十一年には、グルマフンの故郷であるという理由だけで、殷山県を殷山府に昇格させている。
 朝鮮側は初め躊躇したが、グルマフンが怒声を発して脅しつけたので、従わざるを得なかった。
 
 
 こうして平安道の多くの官職がグルマフンの一族や取り巻きに独占される結果となった。
 朝鮮国王孝宗は「清人はどうしてわが国事を尽く知っているのだ?清からあれこれ責められるのはすべて鄭命寿(グルマフン)が裏で操っているのだ」と嘆き、領議政(宰相)鄭太和は「西路(平安道)の人は鄭命寿と親密なものがすこぶる多く、わが国の微細な事に至るまで知らないことはありません」と語っている。
 
 グルマフンは朝鮮国内に恐るべき情報網を構築し、清朝と自らの利益を図ったのである。
 
  
 またグルマフンは朝鮮宮廷内でのコネ作りにも怠り無く、 宰相の李敏求は彼の妻の妹を娶り、その権力を背景に国政を左右した。のちに「古今天下で、人臣として隣賊と結んで君主を制したものに、敏求に及ぶものがいるだろうか」とまで言われたほどであった。いわば虎の威を借る狐の、そのまた威を借る狐とも言うべき人物だった。
 
 そのほかにもグルマフンと好を通じた大臣は数多く、かくして一介の奴婢だった彼は朝鮮における政界の黒幕、事実上の支配者とも言える存在になりおおせたのであった。
 
  
 次回は、一人の通訳に過ぎなかったグルマフンがなぜここまで好き放題できたのかについて、詳しく掘り下げてみたいと思う。
 
(つづく)