「漢字は韓国人が発明した?」-「中国人」の定義について-

最近、中国のネット上で「漢字を発明したのは韓国人」というトンデモ文章が大きな騒ぎを巻き起こしている。
翻訳はこちらhttp://ameblo.jp/ahahakyahaha/entry-10018917511.html
中国語原文はhttp://bbs6.news.163.com/guoji/495473,2.html
この文章は、もともとある韓国人がヨーロッパの中国語研究誌(サイト)に投稿したものらしい。
 
今、中国のあっちこっちの掲示板で「祭り」状態になっていて、ひところの「歴史問題」や靖国関係の話題よりも熱く、激しく燃え上がっている。
 
それはさておき、こういうトンデモさんは日本だろうが韓国だろうがアメリカだろうがどこにでもいる。何も本気で相手する必要はないだろうに、なぜ中国人はこんなにも怒るのだろうか。もし日本人だったら、「ああ、あほなやつがおるなあ」で終わりである
 
私が思うにこれは中国人の「中華思想」に関係がある。
よく知られるように「中華思想」とは「中国」、「中華」が世界の中心で、その周りを取り巻くのが「蛮夷」であるとする思想であるが、ここでの「中華」とは世界でもっとも文明的な民族であり、「蛮夷」は中国文化のすばらしさを知らずいまだに文明化されていない不幸な人たちをいう。
 
つまり「中華」と「蛮夷」を区分するものは「文明」と「野蛮」である。そして、より具体的にいえば中国語や漢字に代表される中国文化を受け入れているかどうかの違いである。
 
たとえ姿かたちが異なる「蛮夷」であっても、中国文化を受け入れて中国語を話し、漢字を使っていれば、文明人すなわち「中国人」として受け入れられた。
極端に言えば、中国人の定義とは「中国語と漢字が操れる人」のことである。

 
中国(主に漢族)はこのようにして多くの「蛮夷」を自らの元に迎え入れ、「中国人」をどんどん増やしていったのである。

この点は日本やその他の国々の民族主義のような、人種や血統に重きを置く考え方とは大きく異なる。
 
こうした考え方は今でも中国人の中に残っている。
たとえば、私はこれまで「日本人か、フン!」というようなそっけない態度をとっていた中国人に中国語を話しかけたり、漢字を書いたり、中国史の話題を振ったりすると態度が180度変わってやたら親切になるという状況に何度となく出会っている。
 
つまり、中国人のアイデンティティとはほかならぬ中国文明、中国文化であり、漢字はその核心である。
 
 
今回の「漢字は韓国人が発明した」説はいわば中国人の「地雷」を踏んでしまったというところだろう。
「中華」の証明、文明の証明たる漢字を韓国人が奪うなどということは決して許されないことなのである。
(そりゃ怒るわな)
 
今回の騒動で、改めて「中国人とは何か」という問題について考えさせられた。
 
 
 
まとまりのない文章で申し訳ありません。
 

「漢字は韓国人が発明した?」-「中国人」の定義について-” に対して7件のコメントがあります。

  1. tacaQ より:

    漢字ということで何かの共時性を感じたのかもしれませんね。

    自分のブログで文章をアップするときに調べた時に見つけたあるサイトにはGHQは漢字の全廃を視野に入れていたことを記していました。GHQはとうの昔に去り日本は独立にしたにもかかわらず未だに日本では漢字を全廃しようとする団体があるとか!
    GHQがいなくなった時に、元に戻しときゃぁよかったのに、と思います。

  2. 電羊齋 より:

    >阿Q 様
    確かに最近漢字がらみの話題が続きましたね。
     
    漢字全廃論については自分も関心を持って調べたことがあります。
    漢字全廃論は19世紀以降欧米列強の侵略を受けた日本、中国その他漢字文化圏諸国で盛んに唱えられるようになりました。
    理由は、
    ①複雑で覚えにくい漢字が国民への識字教育、ひいては近代化のさまたげになっていること
    ②アルファベットならばタイプライター、テレックス等の使用に適しているが、漢字、和文は適していない。
    (最近では、漢字がコンピュータのリソースを食うと言う理由になってるらしい)
    などです。
     
    ①に関して言わせてもらうと、確かに漢字は複雑で書きにくい文字ですが、一方ではかなりシステム化された文字なんですけどね。
    漢字は、ある一定の意味を持った偏と、一定の意味と音を持った旁の組み合わせによって成り立っているので、たとえ知らない漢字に出会っても意味や音がすぐに類推できます。この法則さえ覚えてしまえば、漢字を覚えるのは非常に楽です。
     
    ②については、最近のワープロソフトの開発でおおむね解決できたと思います。
    リソースの問題にしても、漢字はひとつの文字で多くの意味内容を表現できるので、文章の字数自体を減らせます。
    たとえば、「日本」はひらがなでは「にほん」と三文字になりますし、英語なら「Japan」と五文字になります。
    また、同音異義語も容易に区別できます。
    漢字だったらすべて一目瞭然です。
     
    大学院時代に、長い間アメリカ暮らしたことのある先生が言っておられたんですが、道路の標識を読むとき、日本だったら漢字を「見て」すぐに意味が理解できるが、アメリカだったら単語を左から右まで「読んだ」上で、初めて意味が理解できるということでした。
     
    漢字廃止論はこういったメリットをあまりにも無視しているように思います。
    あと、正字体(旧漢字)はやっぱり元に戻すべきだったと思います。古典を読むときに大変ですからね。
    (おかげで大学、大学院で散々苦労しましたよ)

  3. cao より:

    也谈汉字的存废  —— 查博
     
     
    韩国人说汉字是韩国人发明的,网上很多人看了不免情绪有些激动,不明白韩国人怎么回事了。仿佛本来看着老实的邻居,突然打上了自家的几件祖传古董的主意。
     
    韩国人的说法有些一厢情愿,在查博看来,其实大可不必理会。
     
    因为有的东西,例如汉字,于中国人而言,历经千年早已成为自身气质和思维方式的一部分,这一点是最根本的。相比之下,至于谁发明的汉字,其实并不重要。
     
    在声称发明汉字的韩国,汉字早已不再使用了,其实韩国人早已经做了他们的选择。汉字发明之争,我们更可以看作是一个处于上升期的民族通常会有的诸多虚妄症状之一,大可一笑置之。其实此类症状在中国人身上亦有,只是没有近期韩国的几个事例这么有想像力。关于这件事,让我们多点幽默感来解读吧。
     
    更具现实意义的话题是汉字存废之争。
     
    在中国,五十年代意识形态高于一切的时代,汉字曾经一度十分危险。只是中国文化与汉字的关联性太强,不可能一蹴而就,于是有了拼音过渡的计划。到后来,和前苏联反目,汉字反倒成了保持自身独立的工具之一。事到如今,至少在中国这已不成问题,代之以汉字的简繁之争。字母拼音却还是留存了下来,成为幼儿开蒙的工具。
     
    自家事自己知。
    韩国和越南废止了汉字,自有其国内民族主义的考量。尽管据说也产生了诸多不便,但至少用到现在没出大乱子。
    但如果中国也废止了汉字,恐怕问题太多了,想也不敢想。汉语中同音同调字很多,易引起歧义,这是其一。南北方言的巨大差异在表意文字汉字上取得了和谐,表音文字无法做到这点,这是其二。至于历史文化的断裂,更不在话下。
    每种文字都有其优劣,选择了一种文字更是历史和现实的结果。至少现在,离真正世界大同的一天还很遥远,我们仍然需要汉字。
     
    汉字圈所余的另一个国家是日本,汉字在那里未来的取舍,局外人很难做预测。不过,至少现在汉字在日文中的比例是越来越少了。
    有位北大的教授,从小在日据的东北地区长大。我曾看到他用日文写的传真,和我们现在看到的日文很不同,特点是通篇汉字。后来看过一些战前的日本文告,才知道那是旧日文的习惯。
    日本也有全面废止汉字的思潮,但以一个局外人视角来看也并不容易。同样日文也有同音字的问题,如“科学”和“化学”。同时尽管日本的历史短些,也有文化断层的疑虑。徜徉在京都或奈良街头,看着那些同中国相似的建筑,感觉日本的历史也曾伴随着汉字成长,如果真的全面废止了,恐怕日本人也是会有些许遗憾吧。
     
    还是那句话,自家事自己知,汉字未来在日本的存废,恐怕只有日本人自己才说得清吧。

  4. 樱花 より:

    結構おもしろい~
     

  5. 電羊齋 より:

    >查博 阁下
    〉在查博看来,其实大可不必理会。
    在声称发明汉字的韩国,汉字早已不再使用了,其实韩国人早已经做了他们的选择。汉字发明之争,我们更可以看作是一个处于上升期的民族通常会有的诸多虚妄症状之一,大可一笑置之。其实此类症状在中国人身上亦有,只是没有近期韩国的几个事例这么有想像力。关于这件事,让我们多点幽默感来解读吧。
     
    我也颇有同感,不要生气,用多点幽默感来解读。
    幽默感就是把自己和别人客观化的良药。

    在中国,五十年代意识形态高于一切的时代,汉字曾经一度十分危险。只是中国文化与汉字的关联性太强,不可能一蹴而就,于是有了拼音过渡的计划。到后来,事到如今,至少在中国这已不成问题,代之以汉字的简繁之争。字母拼音却还是留存了下来,成为幼儿开蒙的工具。
    谢谢!原来如此。和前苏联反目,汉字反倒成了保持自身独立的工具之一,这个部分我很感兴趣!
    >韩国和越南废止了汉字,自有其国内民族主义的考量。
    >同时尽管日本的历史短些,也有文化断层的疑虑。徜徉在京都或奈良街头,看着那些同中国相似的建筑,感觉日本的历史也曾伴随着汉字成长,如果真的全面废止了,恐怕日本人也是会有些许遗憾吧。
     
    人所周知,日本也有强烈的民族主义,比如日本的民族主义者再讨厌中国也不主张废止汉字,他们却主张捍卫汉字,坚决反对汉字的简化和废止。
     
    因为日本文化曾伴随着汉字成长,这两千年来日本人用汉字写文章,用汉字思考。根本离不开汉字。对日本人来说,汉字也是日本文化的不可少的一部分。
     
    还有日语也有很多方言差异。
    比如,日本的东北(青森,岩手等)和九州南部,冲绳方言之间的差像英语和德语之间差别一样大。东京话和大阪话之间也有很多差别,身为大阪人的我跟长期学日语的中国人说地道的大阪话,他们都听不懂。(好像沈阳话和北京话的区别一样)
     
    我根本听不懂这些方言。
     
    虽然在日文中的汉字比例越来越少,也不会全面废止汉字。
     
    >Dream樱花 様
    確かにおもろいですな。
     

  6. cao より:

    >和前苏联反目,汉字反倒成了保持自身独立的工具之一,这个部分我很感兴趣!
     
    汉字拉丁化的问题上,前苏联起了很大推动作用,详见下面的链接,该文中有所提及
    http://paowang.com/news/3/2006-03-31/20060331104949.html
    50年代,毛泽东带头提倡汉字拼音化,又为这一趋势定了基调,如果国际政治没有发生后来的突变,很可能会成为既定事实了。后来,上层人物中也越来越多的人意识到汉字是维系多方言民族统一的纽带,苏联对汉字拼音化的推动,很可能有其深层考虑。随着中苏分野,可能毛泽东本人也对此有所觉悟,并不再提及先前的意见(当然也不会来否定自己说过的话),下面人也心照不宣了。此为这一事件的由来。
     
    >比如日本的民族主义者再讨厌中国也不主张废止汉字,他们却主张捍卫汉字,坚决反对汉字简化和废止。
    很有趣的现象。
     
    >身为大阪人的我跟长期学日语的中国人说地道的大阪话,他们都听不懂。
    倒没想到冲绳和青森方言差别如此之大。大阪音和东京音的差别我倒是有些概念。
    此外看到有文章论及东京大阪人气质上有一些差异。在日本时我在大学从事研究,接触的人仅限于一些师生。系里最喜欢和我们这些外国人打交道的一位教授倒正是大阪人,此外一位做毕业论文的本科生也是大阪人,也比较开朗。所以我的概念是大阪人更国际化一点,大阪人之于东京人正如上海人之于北京人,不知是否这样。
     
    >对日本人来说,汉字也是日本文化的不可少的一部分。
    是啊,如果将川端康成的<美しい日本の私>写作<うつくしいにほんのわたくし>,恐怕也会失去很多美感。再比如<雪の国>,看到这样的题目已经感到一些审美意义上的想像,这些恐怕也是纯粹的拼音文字所不具备的。
    以上是我做为局外人对汉字对日本人感受的一些幼稚的揣度。

  7. 電羊齋 より:

    >查博
    >汉字拉丁化的问题
    刚才看完了你介绍的文章,很值得参考。不知道作者是谁,但他(她)学问很高。
     
    >大阪人之于东京人正如上海人之于北京人,不知是否这样。
    我也觉得这样。
    我也觉得大阪人又开朗又开放。
    因为大阪(关西地方)自古以来和中国,朝鲜之间的往来很多,就是日本的门口。
     
    还有东京是很政治化的城市,相当于中国的北京,大阪是一座以商业为主的城市,很像中国上海。
    东京人很喜欢谈论政治和国家的大事,真是一本正经(对大阪人来说,人情淡薄)。大阪人不太喜欢谈论政治和国家的事情,尽量离开国家的统制,靠经商自食其力,特别重视信誉,服务和人情。

     
    >是啊,如果将川端康成的<美しい日本の私>写作<うつくしいにほんのわたくし>,恐怕也会失去很多美感。再比如<雪国>,看到这样的题目已经感到一些审美意义上的想像,这些恐怕也是纯粹的拼音文字所不具备的。
    颇有同感!
    汉字的美感用什么拼音文字都不能代替的。
     
    对了,川端康成是我的老乡,大阪茨木市人。
    他的家离我故乡4,5公里左右。

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