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ラストエンペラー溥儀の天津旧居:修復作業が完了(サーチナ 中国情報局)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007?0721?national_0721_001.shtml

 

ラストエンペラーとして知られる愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が1920年代末から30年代初頭にかけて住まいした天津市の「静園」の修復作業が終わり、一般公開された。

  「静園」は1921年に建てられたもので、元は駐日公司も勤めた陸宗輿(北洋軍閥政府の要人)の公館。その時は「乾園」と呼ばれていた。1925年、溥儀は北京を追われ、皇后や旧臣などとともに天津に移る。天津に移ってしばらくした後「乾園」に入居、同時に名称を「静園」に改めた。

  1931年11月10日、溥儀ら一行は天津を秘密裏に離脱する。その後、日本と連携して満州国の皇帝として即位することになる。「静園」は溥儀が北京を撤退してから満州国皇帝になるまでの、つかの間の、それでいて激しい歴史の足跡の一つといえる。

(編集担当:鈴木義純)

 

紫禁城を追放されてから「満洲国執政」となるまでの約6年間、溥儀が住んでいた家「静園」が最近修復されたとのこと。溥儀はここでかなり優雅な生活を送り、天津の社交界では依然国家元首なみの待遇を受けていたようだ。

(入江曜子『溥儀―清朝最後の皇帝』岩波新書(新赤版)1027 2006年7月)

戦後は民間人の家になったりしており、別の文献の写真で見ると壁には蔦が這っており、最近はかなりボロボロになっていたが、このほどやっと修復されたようだ。

これも最近の「愛国教育」の教材(という建前の観光開発)としてかな?

まあ、なんにせよ、文化財が修復されるのはいいことだ。