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常林・白鶴群『北京西山健鋭営』学苑出版社(北京) 2006年7月
 
 この間、北京の満洲族の友人である阿敏さんのご紹介で購入、先週読了。
 
 本書は、北京の西北、香山のふもとにあった八旗の攻城戦専門部隊「健鋭営」の歴史と旗人たちの生活ぶり、現存する史跡などについて、豊富な写真、復元図、絵画を交えて紹介している。
 著者の常林、白鶴群両氏は共に北京出身の満洲族、特に白氏は健鋭営の末裔であり、地の利を生かした調査、研究により、清代旗人の生活ぶりや風俗習慣、そして現代の健鋭営の状況につき、かなり詳細かつ具体的に記述している。
 
 
 本書はあくまで一般読者向けの概説書であり、注や参考文献リストが付されていないのが惜しまれるが、八旗制度及び清代から現代に至る満洲族(旗人)の生きた生活史を知る上で欠かせない。
 
 以下、内容を紹介する。
 
 本書は全3章からなり、第一章「満洲的旗営」では、まず八旗制度の概説と、次に八旗が次第に専門分化して編成された各部隊(旗営)すなわち、八旗駐防、禁旅八旗、八旗都統衙門、行営、歩軍営、前鋒営、護軍営、神器営、水師営、虎槍営、善撲営と北京城外西北に位置する円明園護軍営、火器営(外火器営)それぞれの沿革、官制、任務内容などにつき『会典』などの政書や現地調査の成果にもとづき記述している。
 
 特に円明園護軍営、火器営(外火器営)は、健鋭営と位置的にも近く、関係も深いので、第二章への導入として特に詳細な説明が加えられている。私の修士論文のテーマは火器営だったので、この部分は非常に面白かった。
 火器営の地図「火器営八旗営房示意図」は、清代の様子を知る上で非常に役立つ(2000年ごろまで基本的な地割はほぼ残存)。

 (10年前にこの本が出ていればあんなに苦労することはなかったのに)
 
 また本章では、杭州、広州、福州、西安の駐防の沿革、旗人の暮らしぶりと現状についても触れており、そこから旗人・満洲族の生活史全般への理解が深まる仕掛けになっている。
 
 
 第二章「飛虎雲梯健鋭営」では、全九節にわたり健鋭営の歴史、戦歴と現状を述べている。
 

(一)「組建健鋭営」では、第一次金川の役で現地金川人(ギャロン・チベット族)のたてこもる碉楼(石造りの高楼)に苦しめられた経験から、「香山雲梯兵」、さらに健鋭営が編成された経緯について述べている。

(二)「営区布局」では、まず「健鋭営八旗営房布局示意図」で健鋭営の全体的配置を示し、次に健鋭営隷下の八旗旗色ごとに分けられた営房の復元図を示し、各営房内の建物配置や内部状況を解説。特に営房の復元図は非常にわかりやすく描けている。

(三)「軍政管理」では、健鋭営の官制、組織について述べる。組織形態は前鋒営や火器営など他の旗営と共通点が多いことがわかる。 

(四)「建築」では、旗営老屋、団城、演武場や金川式の碉楼、井戸など、現存する健鋭営の建築物を写真つきで紹介。清末以降の戦乱や大躍進、文革でかなり破壊をこうむったが、最近の文化財保護政策や観光開発の流れを受け、大分修復が進んでいるのがわかる。

(五)「営区生活」では、健鋭営の旗人の生活ぶりについて、1.経済2.住房3.飲食4.服飾5.出行6.信仰7.譜牒8.聯姻9.婦女10.選秀女11.教育12.紅事会和白帯子会13.文体活動14.商市 の14項目に分けて紹介。これらの内容は非常に豊富、かつ多岐にわたるので、私が個人的に興味を持った点だけを箇条書きにして紹介する。   

 ・俸禄、禄米
  俸禄の種類と額が詳細に記されている。上級旗人には新米、下級旗人には古米が与
 えられたが、それで健鋭営の旗人は逆に新米より古米の味を好むようになった。

 
 ・住房(住居)
  地位に応じて、家のつくり、面積や部屋数が異なる。
  西側が上座とされる間取り、万字炕(「コ」の字型に配置されたオンドル)の存在
 など、東北の満洲族の伝統的家屋と共通した特色がみられる。
 
 ・飲食
  鼻煙(かぎたばこ)の流行
  餑餑(餃子に似た食品)や
豚肉を熱湯で煮てしょうゆやニンニクで味付けした簡素
 な料理(『韃靼漂流記』にも記載)など、東北地方・満洲族の特色を保持。
  「盒子菜」と呼ばれる一種の弁当のような食品があり、大きな箱の中にいろいろな
 料理が小分けされてはいっていた。
山東出身の料理人が売りにやってきて、祝祭日な
 どに食された。
 
 

 ・信仰
  関羽信仰の盛行。健鋭営のどの旗の営房にも必ず関帝廟が存在。
  尚武の精神を重んずる満洲族にとって武神としての関羽は受け入れられやすく、一
 種の「万能神」として厚い信仰を 集めた。

 ・婚姻
  火器営や円明園護軍営と通婚することが多かった。
  漢族と比べ、家庭内での女性の地位が高かった。妻の実家の影響力が強い(満洲
 族、モンゴル族に見られる特色)。
 

 ・教育、文化活動
  官営の義学(官学)があり、健鋭営各旗ごとに学房を設置。
  女子にも教育の機会が開かれていた。
  教師たちは学問を教えること以外にも、説書(評書。日本の講談にあたる)も行っ 
 ていた。
説書は『三国演義』や『岳飛伝』(説岳全伝)、『三侠五義』など忠君愛国
 的内容の物語が主体で、『
水滸伝』は厳禁。
  体育活動としては、狩猟や重量挙げ、鉄棒(のような運動)やモンゴル相撲など。
  音楽は、八角鼓が流行。
  鳥やコオロギを飼う旗人も多かった。
 

 ・紅事会と白帯子会
  会員から集めた金を積み立てて、会員の家の結婚式や葬儀の資金とする互助会。

 ・商市(市場)
  健鋭営、火器営、円明園護軍営の「外三営」付近には、旗人の購買力にひきつけら
 れた多くの商人たちが集結。これ
により樹村、青龍橋、西苑、藍靛廠、肖家河など多
 くの繁華街が誕生、北京西北の一大商業センターとなった。
  民国時代、八旗制度が解体され、旗人の購買力が低下したことにより衰退。

(六)軍事訓練

 雲梯で迅速に碉楼にのぼり、占領する訓練が主体となっていた。健鋭営内での各旗対抗の競技会も行われた。
 その他、騎射、歩射、馬術、競馬、火縄銃の射撃など。
 
(七)重大征戦
 健鋭営の主要な戦歴について述べる。
 第一次金川の役(乾隆十二年  1747)から、ジューンガル部平定、ビルマ、第二次金川の役、甘粛のムスリム反乱、台湾の林爽文の乱、グルカ(ネパール)遠征、白蓮教徒の乱、太平天国、 捻軍、第二次アヘン戦争、日清戦争、義和団(八カ国連合軍との戦闘)、そして民国時代には「新軍」の一部として外モンゴル独立阻止のため庫倫(現ウランバートル)へ。
 
 『平定金川図冊』、『平定台湾戦図冊』、『平定廓爾喀戦図冊』などの絵画史料をカラーで紹介してあり、非常にわかりやすい。
 
 健鋭営は火器営やソロン兵と同じく精鋭部隊として、非常に重視されていた。
 そしてこれらの部隊は、同時に同じ場所に投入されるケースが非常に多かった。
 (火器営は健鋭営が攻城戦を行う際の突撃支援射撃担当か?)

(八)軍事将領
 著者の統計によれば、清代の健鋭営出身の高官、将軍は66人にも上る(領侍衛内大臣、掌鑾儀衛事内大臣9人、都統、将軍、提督33人、統領、副都統、総兵23人、布政使1人)。
巻末に付録として、66人の一覧表あり。
 その規模(約3000世帯、兵員4000名)に対し、異例の多さとなっている。
 
 著者はその要因を五項に整理。  
  1.特殊部隊として朝廷から重視されていたこと
 健鋭営は、戦争(紛争、反乱)発生、または一般の部隊が苦戦している場所にいち早く派遣される一種の「緊急展開部隊(特种应急部队)」であった(私の考えでは、火器営もそういった性格の部隊だったと思われる)。
 そのため、常に有力な近臣により指揮され、柔軟な運用が可能となり、思う存分実力を発揮できた。  
   
 2.皇帝のお気に入り部隊であり、昇進に有利だった
 特に創立者である乾隆帝はしばしば部隊視察に訪れ、将兵を激励。
 前述の66人のうち、乾隆、嘉慶、道光年間に生きたものは58人、咸豊、同治、光緒年間の人物は8人に過ぎない。
66人のうち乾隆年間に官歴の起点が存在するものは49人。
 3.厳格な訓練
 健鋭営の訓練場は当時としては一流の環境。
 そこで厳格な訓練を施され、高い技量を身につけていたるところで活躍。
 4.度重なる戦争。
 度重なる戦争が健鋭営将兵に実力発揮の機会を与えた。
 また、清軍の上級指揮官が大量に戦死したことにより、穴埋めの必要が生じ、健鋭営出身者が緑営の総兵はじめ他部隊の指揮官に抜擢されることも多かった。
 5.清王朝の特殊な政策
 清の人事政策では、八旗出身、特に満洲八旗、上三旗出身者が優遇された。
 前述の66人のうち、八旗満洲49人、蒙古16人、漢軍1人。上三旗出身45人、下五旗出身は20名、その他1人。
 また、父祖が功績によって得た爵位、職位の世襲が可能であり、将軍、高官の子弟はスタートラインから優位に立てた。
 さらに実力主義的な賞罰制度により優秀な兵士が将軍となる道が開かれていた。
 

 

(九)多民族的健鋭営
 1.「番子営」の歴史
 健鋭営に存在する金川人の部隊「番子営」(番子佐領)の歴史につき、文献資料と番子営、金川での現地調査により詳述。番子営は、第一次、第二次金川の役の捕虜となった「番民」(嘉戎蔵族)が、香山のふもとに住まわされたことに始まる。
 彼らは八旗の管轄下で生活し、彼らの生活場所は「番子営」、「苗子営」あるいは「小営」とよばれ、彼ら自身は「寨子」と呼んでいた。
 
 第一次金川の役後に入京した「番人」は、碉楼を造る工匠だけであり、人数は多くなかった。その目的は金川の碉楼の研究であった。
 第二次金川の役後の入京者は、楽工(楽団)が多く、その中には女性や子供も含まれていた。
彼らは歌舞が得意でしばしば円明園(のち頥和園)に呼ばれて、宴会で「番子楽」の公演を行った。彼らはいわば大小金川からの「貢物」だった。 
 彼らが香山のふもとに住まわされた理由は山岳地帯での生活になれていたことと、楽工が円明園に出向くのに便利な場所だったことにもよる。
 
 著者の1960、62年の「寨子」調査によれば、寨子はそれほど広い場所ではなくガチョウの卵のような形状で、内部には碉楼や塔などチベット式の建築が残存していた。寨子内の生活習慣、服飾はすでに北京のその他地域と変わらないものになっていた。
 
 金川人がどの民族に属するかについては、1960年代まで議論が続き、苗(ミャオ)族、チベット族、壮(チワン)族など諸説が乱れ飛んだ。
 現在はチベット族、羌族として分類規定されているが、
著者はその独特の歴史的背景と文化から彼らを古羌人の一派である土着ギャロン人とし、その他のチベット族とは区別し、本文中でも「金川人」または「嘉戎蔵族(ギャロン・チベット族)」という呼称を使用している。

 
 著者は、三度にわたる大、小金川現地調査の成果に基づき、大、小金川の独特の地理環境と歴史、ボン教(奔布爾教)色が濃厚な信仰形態、そして独特の風俗習慣など、かなり突っ込んだ記述を行っている。
 
 
 読んでいて興味深かった点としては、まず金川のボン教はすでに仏教との習合が進んでいるとはいえ、依然多神教、シャーマニズム、呪術的要素が強いことである。
 次にチベット仏教の活仏は妻を娶らず転生により継承が行われ、活仏は寺院内部の事務のみを担当するのに対し、金川人のボン教ではラマが妻を娶ることによる世襲制の継承が行われ、寺院内部だけでなく寨、村落のさまざまな事務も担当し、精神的のみならず政治的なリーダーともなっていたことである。
 著者は、金川の役で金川人が清軍をたびたび撃退できたのは、こうしたボン教とラマが金川人の結束のよりどころとなったことによるとしている。
 また、ボン教の持つ呪術的要素から、金川、清軍双方でボン教のラマが敵を呪うため利用されたこともあったという。  
 
 第三に、現在の碉楼は清代のものとはかなり異なった構造であることを紹介している点も面白かった。
 
 第四に、著者は、金川は農奴制社会であり、土司と「大頭人」以下、最下層の農奴までが密接に結びつき、団結力が非常に強かった点も指摘している。
 戦時の際は、一戸ごとに一人を出し、武器を自弁、また金川人は高い冶金技術をもち、刀剣、銃、弓矢、石弓などの武器を製造した
(私が大学院時代に読んだ史料では、中国内地からの密輸品も多かったらしい)。

 著者は、さらに金川人の「番兵」の清朝への投降後の歴史について概観している。
「番兵」はグルカ(ネパール)、台湾、甘粛など色々な戦場で活躍した。
北京香山の「番子営」は、一定数の石匠、銀匠、ラマ以外は、他の八旗兵丁と同じく兵役や雑務に従事。そして、老若男女すべてが宮廷で「番子楽」の公演を行わねばならなかった。
 
 興味深いことに、中華人民共和国成立後、「番子営」の金川人の多くは「苗族」として登録、「蔵族」として登録したものは一人もいなかったという
(著者はある「一定の政治的、歴史的原因」が存在したのではないかとしている)。
 

 

 2.蒙古旗人、シベ族のチベット仏教寺院

 3.船営
 健鋭営は頥和園付近にあった湖(現在は陸地化)で水戦の演習も行い、「健鋭営八旗水師」と呼ばれ、天津、福建の水師(水軍)から漢人教官が招かれた。
 その場所には今でも「船営」という地名が残存。  
 光緒年間に、漢人の北洋水師に対抗して満洲旗人の海軍軍人を養成すべく、頥和園の昆明湖西岸に水操学堂が設置された。
 学生は健鋭営や外火器営の旗人から募集され、卒業生は日清戦争にも参加。日清戦争敗北後廃止。
  
 4.勇敢なソロン人
 ソロン;満洲語で「射手」を意味し、現在のダグール、エヴェンキ、オロチョンなどの民族の総称で、健鋭営とともに勇戦敢闘した。

 

 

 第三章「清帝退位後的健鋭営」では、清朝が滅亡し、八旗制度が解体されていく中で、旗人たちが漢人からの差別や生活苦にあえぐ様子や慈善家の熊希齢による援助につき述べている。
 そして、著者は清朝と八旗、ひいては健鋭営の「民族団結」や中華民族への貢献を大いに強調し、最後に現在の健鋭営の様子に触れて、結びとしている。この部分は、漢族を中心とする現代中国人の清朝、満洲族へのマイナスイメージへの強い抗議であろう。
 
 

 全体的に非常に面白く読めた。
 一般向けの本で八旗制度についてこれほど詳しい本も珍しいのでは。
清朝史、特に八旗制度に興味のある方は必読。
 欠点はやはり、注や参考文献リストが付されていないこと。
 本書に含まれる情報量が多いだけに、参考文献リストや注をつけて、興味を持った読者のために研究の糸口を提供するべきだと思うのだが。