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 東京陵には、ヌルハチの異母弟ムルハチ(Murhaci 穆爾哈斉、穆爾哈赤)とその子ダルチャ(Darca 達爾察、碑文の漢文部分では「大爾差」と表記)の墓もある。位置はシュルガチ、チュエン墓から南東へ徒歩10分前後の場所。

 壁で囲まれ、内門の内側の一つの墓域の中に親子二人の墳墓が並んでいる。

 外側の門と墓域の門の間は、墓碑の区画となっており、康熙十五年(1676)に建てられたムルハチ墓碑(中央)と康熙十年(1671)に建てられたダルチャ墓碑(右)がある。碑文はともに満漢合璧。付近の住民がお守り代わりに墓碑の石を削り取って行ったらしく、碑文のところどころに四角い穴が開いている。

 そしてムルハチ墓碑の左には、子孫の宝熙、熙洽(きこうにより満洲国時代に建てられたコンクリート製の漢文の碑があり、「康徳二年五月二十四日」の日付が読み取れる(康徳二年=1935年 ※満洲国の元号)。碑亭はない。

 

(google 衛星写真を除き、全て2005年5月筆者撮影)

 

東京陵配置図
東京陵配置図(google衛星写真より作成 2008年6月12日アクセス)

ムルハチ(右)、ダルチャ墓(左)(一枚目の衛星写真の赤い円部分を拡大)
ムルハチ(右)、ダルチャ墓(左)(一枚目の衛星写真の赤い円部分を拡大)

墓域配置図(一枚目の写真により作成)
墓域配置図(一枚目の写真により作成)
壁で囲まれ、外側の門と内側の門の間に墓碑と「康徳二年」碑がある

東京陵 ムルハチ(手前)、ダルチャ(奥)石碑
ムルハチ(手前)、ダルチャ(奥)墓碑
碑亭はない

東京陵碑文 112東京陵碑文 115
ダルチャ墓碑碑文(部分)
碑文の一部が四角く削り取られているのは、付近の住民がまじないやお守りのために削り取っていったものらしい(細谷良夫編『中国東北部における清朝の歴史――1986~1990年』p69)

東京陵 康徳二年碑
「康徳二年」碑(康徳二年=1935年 ※満洲国の元号)
コンクリート製、子孫が建てたもの
ムルハチ墓碑の左側

東京陵 ムルハチ・ダルチャ陵墓門
墳墓側(北側)から撮影
後ろにムルハチ(右)、ダルチャ(左)の巨大な墓碑が見える

ムルハチ墓(左)、ダルチャ墓(右)
ムルハチ墓(左)、ダルチャ墓(右)
コンクリートによる補修が施されている
前掲書p69によれば、この補修は満洲国時代のもの

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参考文献・サイト(順不同)

細谷良夫 編『中国東北部における清朝の史跡――1986~1990』(平成2年度科学研究費補助金・総合研究B「中央ユーラシア諸民族の歴史・文化に関する国際共同研究の企画・立案」成果報告書No.3)1991

松浦茂『清の太祖 ヌルハチ』中国歴史人物選 11 白帝社 1995

承志・杉山清彦「明末清初期マンジュ・フルン史蹟調査報告――2005年遼寧・吉林踏査行」(『満族史研究』第5号 2006)

綿貫哲郎’S tere inenggi 東京陵:中国遼寧省遼陽市(2008年6月27日アクセス)

追記:表示不能となっていた写真を貼り直し、誤字脱字を修正しました。
(2015.2.6)