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鳳凰楼(満文:Fung hūwang leo)

瀋陽故宮中央の高台に位置する高楼。

鳳凰楼

鳳凰楼(2004年4月撮影)

 

鳳凰楼 額(2004年8月撮影)
左 満文:fung hūwang leo,, 右 漢文:鳳凰樓

一、鳳凰楼について

 南の大清門から北へ歩き、崇政殿を過ぎると、ひときわ高い建物が目に飛び込んでくる。それが鳳凰楼、ホンタイジ(皇太極)時代の後宮への門でもある。

 写真の下側に見える階段は24段、これは二十四節季を表しているという。

 満洲(女真)族がまだ東北の山や野原で生活していた頃、各部族の首長たちはおのおの山城を築き、その頂上に高楼を築いた。高楼は土や石で築いた土台の上に立っており、周囲を見渡すのに便利で、また一種の権威づけでもあった。日本の城の物見櫓や天守に似た存在かもしれない。

 鳳凰楼はそういった満洲族の伝統的な建築様式を踏襲している。

 また、鳳凰楼の内側は皇帝、皇后の居住場所であり、塀と高台によって周辺から隔離することにより、警護を容易にするという意図もあったと思われる。

 この鳳凰楼がいつ建てられたかについては明確な史料は無いが、現存する最古の瀋陽地図である『盛京城闕図』(康煕八年(1669)頃)にはすでに鳳凰楼が描かれているので、遅くとも康煕年間初期には今の姿になっていたようだ(乾隆年間の増改築も多少入っているようだが)。ホンタイジ時代はもっと規模が小さかったらしい。

 盛京城闕圖』(中国第一歴史档案館蔵)
以下のページで閲覧可能。中央やや左に 鳳凰楼が見える。

振兴东北网 东北特色 文化 《尋找失落的“沈陽九門”》2004年12月6日  http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/chinaneast.xinhuanet.com/2004-12/06/content_3337933.htm

  清代の盛京(瀋陽)では、この鳳凰楼が城内で一番高い建物で、城内のどこからでも見渡せ、「盛京八景」の一つ「鳳楼暁日」として讃えられた。乾隆帝、嘉慶帝、道光帝も鳳凰楼に登り、詩を詠んでいる。

 また、清代には『実録』や「大清受命之宝」など十数個の御璽がここに保管された。

二、「紫気東来」という扁額について

鳳凰楼扁額

鳳凰楼扁額

鳳凰楼第一層の乾隆帝御筆の扁額(紫気東来:高貴な気は東より来たる)
なんだか彼の自己主張というか意気込みが垣間見えておもしろい。
(2008年9月撮影 最近修復されたらしい)

 鳳凰楼の一階は後宮への門となっており、門の上に乾隆帝御筆の「紫気東来」という扁額が掲げられている。

 「紫気東来」とは「高貴な気は東より来たる」という意味で、もともと道家の「老子過函谷関、紫気従東而来(老子函谷関を過ぎ、紫気東より来る)」すなわち老子が函谷関を通過するとき、紫気(高貴な気、瑞祥)が東からやって来たという伝説に由来する。中国では古来縁起のよい言葉として扁額や対聯に用いられることが多く、現在でも非常によく見かける言葉である。

 

 だが、当然ながらここ鳳凰楼における「紫気東来」はそういった単純な意味ではありえない。
そもそも、中国では「紫気」や瑞祥といったものが常に王朝の創始と結び付けられてきた。歴代王朝の正史の初代皇帝の本紀を読んでいると、必ずといっていいほど「紫気」とか「五色の気が立ち上った」とか「瑞祥が現れた」といった類の伝説が登場する。

 「紫気」という言葉だけをとってみても『梁書』卷一 本紀第一 武帝に

時所住齋常有五色回轉 ,狀若蟠龍 ,其上紫氣騰起

時に住む所の齋(はなれや)常に五色回轉する有りて ,狀(かたち)は蟠龍の若(ごと)し ,其の上に紫氣騰起す

と見え、南朝梁の武帝蕭衍が皇帝に即位する前、住居の上に五色の気が渦巻いて、とぐろを巻いた龍に見え、屋根からは「紫気」が立ち上ったとある。また『隋書』卷一 帝紀第一 高祖にも

皇妣呂氏 ,以大統七年六月癸丑夜 ,生高祖於馮翊般若寺 ,紫氣充庭

皇妣呂氏 ,大統七年六月癸丑夜を以て,高祖を馮翊般若寺に於いて生む , 紫氣庭に充つ

という用例が見え、のちに隋の高祖皇帝となる楊堅が生まれたとき「紫気」が庭に満ちたと述べられている。

 このように中国の歴史において「紫気」という言葉は、単なる超常現象ではなく、旧王朝の天命が尽き、新たなる皇帝と新王朝への天命が下った兆しとしても扱われてきたのである。もちろん現代の視点から見れば、これらの伝説は単なるまやかしでしかないが、前近代の中国においては新王朝と新皇帝の中国支配の正当性を保証する重要な意味を持っていた。

 そもそも王朝にはむかうものは全て「賊」――謀反人とされる中国では、前王朝を倒し新王朝を開く皇帝は「普通ではない」人でなければならない。つまり「この人なら謀反を起こしてでも皇帝になる資格がある」と思わせるもの、言い換えれば「謀反」という「無理」を正当化できるだけの裏づけ、すなわち瑞祥や「紫気」があってはじめて謀反人の汚名から脱却し、正当な皇帝として中国を支配できるのだ。

 つまり、ここでの「紫気」は「高貴な気を持つ」清朝の創始とその正当性を、「東来」は清朝が東から北京に攻め込み、中国本土を統一したことを意味している。そして鳳凰楼が清王朝の歴史を記録した『実録』や「大清受命之宝」(「天命を受けた清朝」という意味!)を初めとする歴代皇帝の玉璽を保管する場所でもあったことを思えば、「紫気東来」のもつ意味は明らかだろう。

 このように「紫気東来」という扁額は、道家の言葉を借りて、清朝が「紫気」すなわち中国を支配する正当性を身につけていること、そして中国の東側にある盛京(瀋陽)から中国本土を征服し、今まさに正当に統治していることを高らかに宣言したものなのである。

 今、扁額をじっくり見つめてみると、その力強い筆跡から乾隆帝の自己主張というか意気込みが垣間見える気がする。

参考文献・サイト(順不同)

(参考文献)
佟悦編著『瀋陽故宮』清文化叢書、一宮三陵系列、瀋陽出版社、2004年
細谷良夫編『中国東北部における清朝の史跡――1986~1990――』、1991年
松浦茂『清の太祖 ヌルハチ』中国歴史人物選11、白帝社、1995年
村田治郎『満洲の史蹟』座右宝刊行会、1944年
竹内康浩『「正史」はいかに書かれてきたか――中国の歴史書を読み解く――』あじあブックス042、大修館書店、2002年

(サイト)
振兴东北网  东北特色 文化 《尋找失落的“沈陽九門”》2004年12月6日(2006年8月6日アクセス)http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/chinaneast.xinhuanet.com/2004-12/06/content_3337933.htm
中央研究院漢籍電子文献 二十五史(2008年10月2日アクセス)
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3