LINEで送る
Pocket

やや旧聞に属しますが、3月のラサ騒乱一周年の時の感想です。これは別の場所に書いたものを加筆、修正したものです。
 

最初に断わっておきますが、私はチベットの独立には反対も賛成もしませんし、いかなる民族や国家を貶める意図もありません。中国に暮らすものとして、全ての人々が平和で豊かな暮らしができるよう祈るのみです。
 

ご存知のようにこちら中国では3月にラサ騒乱一周年を迎え、外国のチベット報道に立ち向かうべく必死で武力鎮圧正当化の報道を行っています。それらの報道の是非や真偽についてはすでにあちらこちらで論じられていますので触れませんが、私が気になったのは、中国政府の報道はチベットへの経済開発をかなり強調していること。そして、その行間に、共産党と漢族の「チベット人をこれだけ養ってやっているのに何が不満なんだ」という怒りが満ち満ちていることです。

以前、ある少数民族の友人とシシカバブ屋でビールを飲みながら、チベット情勢について論じ合いましたが、彼が問題点として挙げていたのも中国政府・漢族側の「養ってやっている」という優越意識と、チベット人側の「文化侵略」への危機感という意識のギャップでした。

放送日は失念しましたが最近(2009年3月)、CCTVの「新聞聯播」で、チベットの生活向上を強調する特集を頻繁に放映していましたが、その中で現地の党幹部がインタビューに答え「昔のチベット人の生活は、労働、食事、睡眠、お経を唱えるという四つのパターンだけだったが、今はVCDも見られる」と誇らしく語っていました。共産党、漢族にとっては「VCDが見られる」経済発展が重要、チベット人にとっては「お経」つまりチベット仏教が一番大事、あらためて意識のギャップを感じさせられました。

この「意識のギャップ」は漢族とその他の少数民族間にも存在しており、漢族の間では、国家の少数民族への数々の優遇政策(一人っ子政策不適用、経済援助、経済開発、大学受験での点数プラスなど)からくる逆差別への不満が根強く、そこに漢族文化への誇りと少数民族文化への無理解、独立・自治要求への反発、さらには「民族大団結」という国の建前も加わった結果、漢族の心の中に少数民族に対する「養ってやっているんだ」という優越感が生まれています。
 

一方、少数民族側は、漢人流入、漢語教育、文化の流入による「文化侵略」(漢族から見れば「文明化」ですが)への不満が根強くあり、こういった不満は経済的な優遇措置だけでは到底解消できないものです。
 

それに、中国政府による少数民族地域の経済開発も、結局のところ政府の役人や役人と結託する大手企業(政商)をうるおすだけで終わってしまい、地元への利益還元はわずかなものです。まあ、もっともこれは中国本土でも同様ですが。
 

私は2005年の新疆旅行で、そういった状況を実見しております。観光産業を例にとると、有力な観光業者も本土から来た漢族ばかりで、漢族のバスに乗り、漢族や政府とつながりのある土産物屋や観光施設のみを回り、現地人にはなかなかお金が落ちない仕組みになっていました。
 

ただ、少数民族が独立するにせよ、しないにせよ、少数民族と漢族は永遠に共存していかなければなりません。

甘ちゃんな考えかもしれませんが、中国政府および少数民族は、どうにかして漢族と少数民族がWIN-WINの関係を作れるような仕組みを作り上げていかなければならないと思います。

それには、とりあえず中国政府と漢族側が「少数民族を養ってやっている」という意識を改めることが必要でしょう。

 

ただ、これはかなり困難かもしれません。

中国では、高度な教育を受け、かなり自由で民主的な思想を持った人でさえ、少数民族への差別意識を隠そうとしませんから。アメリカや西欧、日本の自由民主主義を称えた同じ口で、少数民族の悪口を言う方が一部に散見されます。

(ですから私は中国の「民主化運動」を無条件には支持できません)

例えば、ここ大連ではウイグル人が「犯罪者」、「泥棒」として、相当嫌われていまして、ある漢族いわく「文化的には日本人のほうがよっぽど近いし、親しみを感じる」とのことでした。

インターネットの少数民族関係のページでも、漢族によると思われる「荒らし」やいやがらせ、サーバー攻撃が横行しています。

私も5年前に中国に来て以来、そうした例をたくさん見ききし、「民族大団結」という建前との違いに驚いたものです。