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【グローバルインタビュー】男装の麗人、川島芳子は生きていた(上) 野崎晃市・長春大講師 (MSN産経ニュース:2009.6.13 08:00)

【グローバルインタビュー】男装の麗人、川島芳子は生きていた(下) 野崎晃市・長春大講師 (MSN産経ニュース:2009.6.14 08:00)

最新证据表明川岛芳子诈死隐居长春30年(长春  新文化网  专题新闻)

(長春『新文化報』の特集報道ページ これまでの生存説報道のまとめ)

 

 

昨年(2008年)末頃から、川島芳子生存説がにわかに話題となっている。

事の発端は、昨年、長春に住む張鈺(ちょうぎょく)氏の祖父の段連祥氏が死ぬ間際に川島芳子が1979年まで生存していたことを告白し、張氏は2004年に死去した祖父の告白後も数年間そのことを伏していたが、画家の張氏は家に残された日本画が気になり、その鑑定を満洲国皇帝の親戚に当たる愛新覚羅・兆基氏に依頼したことから、この話が地元紙『新文化報』で報道されたこと。

 

生存説や『新文化報』の報道の詳しい内容は上のリンクの記事によくまとめられているので、そちらを読んでいただきたい。

私の感想としては、現段階では生存説は可能性の高い一つの推論にすぎず、完全に生存を断定できるだけの証拠にはまだ欠けていると思う。記事を読んでみても、あくまで中間報告といったところ。もう少し研究が進むのを待ってみたい。

 

興味深いのは、最近の中国東北地方(旧満洲)でこうした満洲国関連のニュース、さらにはこれまで「漢奸」としてタブー視されてきた川島芳子が表立っておおっぴらに語られるようになってきていることだ。

そしてその背景には、ここ数年来、東北人(Dongbeiren)自身による中国東北地方史の証言や意見表明、出版活動が非常に盛んになってきたという現象がある。

元来、中国において満洲国(偽満洲国)は振り返りたくない過去の傷で、常にデリケートな話題であり続け、「満洲」という単語自体もつい10数年ほど前まではタブーとなっていた。中国で、満洲族がいまだに「満族」という略称で呼ばれつづけているのはその名残である。

そのため、満洲国の歴史についても、中国中央の公式見解や教科書的な記述のみが普及し、かつての「満洲国住民」であった東北人自らの言説は抗日関連のものを除き取り上げられてこなかった。さらには、その前の奉天軍閥政権や清朝時代の歴史も「反動的」な「封建時代」の歴史、辺境の歴史として、中国国家公認の歴史においては非主流的な役回りしか与えられてこなかった。

そのため、東北の歴史といえば「戦争」や「抗日」ばかりが一面的に取り上げられ、では地元の民衆たちはどう暮らしていたのかといえば、せいぜい「軍閥政権や日本に搾取されていた」という紋切り型の一言で片づけられるぐらいで、地元人の視点からの具体的な記述は皆無に近かった。

一方、日本においては、戦後60年以上にわたり、中国東北地方及び満洲国関連の歴史書、小説、ドラマ、映画などが数え切れないほど出版・製作されたが、日本で日本人が製作する以上やはり外来者からの視点となることは不可避だった。

 

だが、2000年代に入って以降、特に第二次世界大戦終結60周年を迎えた2005年以降、地元東北からの歴史の証言や意見表明、出版活動が激増している。

瀋陽や大連、長春など東北諸都市の地元紙には、満洲国時代や軍閥、国共内戦時代の東北についての地元人の証言や歴史の秘話が積極的に掲載され、地元東北の出版社もここ数年来、地元の研究者や郷土史家が著した地方史や少数民族史を精力的に出版している。

私も時々新聞でそうした記事を目にしたり、本屋でそうした本を買い込んだりしているが、内容もこれまでのような反封建主義・抗日一辺倒ではなく、地域社会史、東北民衆の生活史や口述史、風俗史、芸能史、民話、伝説など多種多様なテーマが取り上げられ、従来の紋切り型を排したより具体的、複眼的な記述がなされるようになってきた。

当時東北に住んでいた日本人についてもこれまでの「侵略の尖兵」的な役回り以外にも、日本の民衆もまた同じく戦争の被害者であるとする記述が見られ、さらには大連などでは在留日本人の生活史や東北地方への日本文化の伝播も徐々に取り上げられるようになり、これまで意図的に無視されてきた東北地区で日本人の生活史や文化史も徐々に地方史の一構成要素として組み入れられつつある※。

 

※ただこれは戦前の日本を美化するものではなく、当時の日本の残虐行為そのものは批判する一方で、日本や日本人、日本文化に対しては冷静かつ淡々と事実を記述するという態度である。一言で言えば「それはそれ、これはこれ」という態度だ。

 

こうした動きの背景には、言論や歴史研究が以前に比べ一定程度自由化してきたこと、戦後60年以上が過ぎ過去についてもある程度冷静に振り返ることができるようになってきたこと、そしてなにより中国社会の激しい変化の中で多くの人々が東北地方の「地域アイデンティティ」に心のよりどころを求め、自らの歴史を問い直すようになったことがあるのだろう。

今後、東北人による歴史の「語り」がどのような展開を見せていくのか、地域住民の一人としてじっくりと見守っていきたい。