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2006年春から、大連市郊外のとある日本企業に就職。仕事では失敗が多かったし、トラブルも多かった。

金州区に居住していたので、時々近所の金州体育場にサッカーの試合を見に行ったりした。
4月にはガンバ大阪が試合にやってきたが、田んぼのようなでこぼこピッチに雨も加わり、パスが思ったようにつながらず、僅差で負けてしまった。さすがに田んぼのようなでこぼこピッチは恥ずかしかったらしく、試合後しばらく経ってから全面的にピッチの芝を貼り替えていた。

大連市に引越してきたので、大連図書館の利用も開始。伝統ある図書館で蔵書も充実。

 

その頃、遼寧大学時代のモンゴル族の友人が大連の遼寧師範大学の大学院に進学していたが、彼が同じバイト先の女の子が日本語を勉強したがっているので、教えてやってくれないかということで、ある女の子を紹介してくれた。

その女の子とメールやチャットで何度か連絡を取ってから、大連市内のオリンピック広場(奧林匹克广场)地下のマクドナルドで会った。悪いことにその日は風邪を引いており声がガラガラでろくに話もできなかった。まさか2年後にその彼女と入籍することになろうとは、その時は夢にも思わなかった。

その後も半月に一度ぐらいのペースで会っては、食事をしたり、日本語を教えたりしていた。

 

仕事のほうは色々あって、結局一年で円満退職ということに。

2007年3月、大連市内で仕事を見つけたので、大連市内に引っ越すことにして、またトラックと人(退職した会社の従業員)を雇って引越し。

人を雇ったのは本棚や本の搬入のためで、雇い賃(昼食代含む)とトラック代で合計約600元だった。

引越しの時は、他の同僚も手伝いに来てくれた。

本当にありがたかった。

 

荷物の搬入が終わり、雇った人とトラックが帰ってひと段落ついた頃、先述の女の子、つまり今の嫁さんが電話してきて、手伝いに来てくれた。そのとき、なぜか嫁さんがかわいく見えたので思い切って告白したら、嫁さんも即決、以後付き合うことになった。何でそういう流れになったのか今もって不思議な気がするが、これも縁というものだろうか。

もし縁結びの神というものが実在するとすれば、その日に限って勤労意欲に燃えていたのだろう。

神よ、感謝します!

 

大連市内での仕事はなんと3ヶ月でクビ!
どうも、根本的に自分に合っていなかったらしい。6月ごろにはもうノイローゼ寸前の状態になってたし。

7月末からまた仕事を探し、9月からある水産会社に就職。

 

その頃嫁さんは、大家側の都合で今まで住んでいた部屋を出ざるを得なくなったので、これを機会に一緒に住むことに。

 

9月から金州のある水産会社に就職したが、この会社がまたいろいろな問題やトラブルを抱えており、はっきり言って企業としての体を成していなかった。今はやりの言葉で言えば「ブラック企業」だろう。

また、業務上、閑散期と繁忙期の差が激しく、閑散期はほぼ開店休業で給与も半額以下、しかも遅配気味となるので、アルバイトをせざるを得なくなった。

そこで、中国人の同僚の勧めで、在宅翻訳のバイトを始めてみた。在宅翻訳のバイトは今でも続いている。

 

翌2008年6月から開発区のとある製造業企業へ就職した。

2008年9月に嫁さんと正式に入籍。

 

そして2009年。

なんと、4月に一年もたたずに退職。

いい会社だったのだが、現場が40℃近く、夜勤も多く、しかも役職上中国人社員と日本人管理者の板ばさみになってしまい、心身ともに消耗しきってしまったし、今年4月に中国人社員に逆恨みされ、トラブルが生じてしまった。自分はそれまで、中国人社員に厳格に規則を適用してきたので嫌われていた。彼らは熟練工なので、彼らをクビにするよりも自分が身を引いたほうがいいと考え、一週間ほど考えて苦渋の決断をせざるを得なかった。

 

この4年間で実に4回も会社をやめている。いろいろな事情があるにせよ、実に堪え性がない。
原因としては、曲がったことが大嫌いな性格というか人付き合いが悪く、非妥協的な性格に尽きるだろう。

今年こそ、この性格を直したい!

 

4月に会社をやめて、在宅翻訳の仕事に専念。

仕事の量には波があるが、それでも月平均で4000元~5000元程度(約6万~8万円)は稼げている、これまでの現地採用での月給と大して変わらないし、大連では夫婦二人が暮らしていくには十分だ。

しかも、在宅なので通勤時間がゼロ。

 

5月には遼寧師範大学で行われたシベ(錫伯)族の西遷節に招待された。西遷節とは、乾隆二十九年(1764)に盛京(現在の瀋陽)地域に居住していたシベ族を徴募し、守備隊として新疆のイリ(伊犁、グルジャ)に移住させたことを記念する行事で、当日は遼寧省をはじめとする東北地方のシベ族と乾隆年間にイリに派遣されたシベ族の子孫が一堂に会し、盛会となった。

懇親会ではシベ族の方と親交を深めることが出来、大変勉強になった。

 

6月には例の検閲ソフト萌擬人化ブームをブログで取り上げたのをきっかけにアクセスが殺到。
6月1か月だけで普段の1年分ぐらいのアクセスがあった。
ちょうど翻訳の仕事が暇な時期だったので、中国の報道や情報を次々と翻訳して、ブログに載せた。

7月には中国政府も検閲ソフトの義務化を事実上断念したが、自分のブログも何千万分の1ぐらいは貢献できたかな?

 

7月頃からまた翻訳の仕事が増えだした。

8月には、MSNで知り合ったとある満洲語・言語学の先生が大連図書館に調査に。

調査をお手伝いしたり、いろいろ参考になるお話をうかがうことができ、大いに啓発された。

 

10月末から11月初めにかけて、いつも翻訳原稿をいただいている翻訳会社のレクチャー出席のため北京へ。

北京では翻訳会社のレクチャーと夜の食事会で、翻訳会社の方々や多くの翻訳者と交流することができ、大いに刺激を受けた。それに翻訳会社の方や翻訳者の方も、翻訳において私と同じような悩みを抱えていることを知ったことも大きかった。

北京では、翻訳会社の方と翻訳者の方々に本当にお世話になった。

北京で吸収した色々なエッセンスを今後どう生かしていくかが課題となるだろう。

レクチャー参加後北京を観光。友人とも久しぶりに会えて楽しかった。

 

11月から12月は、まさに「一人ブラック企業」だった。

いろんな翻訳会社から、軽いノリで仕事を引き受けてはエライ目にあった。

だが嫁さんの内助の功もあり、何とか乗りきれた。

おいしい手料理を作ってくれたり、翻訳で理解しにくい流行語やスラングに出会った時に意味を教えてくれたりして、本当に助かった。

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ゼロ年代が終わって思ったこと。

私は本当に周りの人に恵まれている。

前半(2000~2004春)は職場の先輩、後輩に助けられて、心身を鍛え、留学へのお金をためることが出来た。後半(2004春~現在)は中国に留学、就職して、これまた多くの人々に助けられてきた。
特に中国の友人・知人たち、そして嫁さんがいなかったらどうなっていたか考えただけでゾッとする。
(漢、モンゴル、満洲、シベ、ウイグル、朝鮮族とバラエティ豊かやわ~)

おかげで90年代後半は非コミュ、非モテでニートに近かった私が結婚までできたし、なんとか飯が食えている。

この10年間、皆さん本当にありがとうございました!
ホンマおおきに!
これからもよろしく!