LINEで送る
Pocket

 

ツェリン・オーセル著、藤野彰/劉燕子訳『殺劫(シャーチェ)――チベットの文化大革命』集広舎、2009年10月

 以下は昨年日本で読んでから書いた読書メモ。ずっとPCに保存したまま忘れていたが、加筆の上アップすることにした。

 本書は、チベット人の著者ツェリン・オーセル氏の父であるツェリン・ドルジェ氏が撮影した文化大革命(文革)期間中のチベットの貴重な写真および著者による関係者へのインタビューにより、これまで外部にほとんど知られることのなかったチベットでの文化大革命の様相をつづったものだ。

 タイトルの「殺劫」には深い意味がある。チベットが中国により「解放」されてから、「革命」はチベット語の「新しい」と「取り替える」という二つの言葉を組み合わせた「サルジェ」というチベット語に翻訳された。そして「文化」はチベット語で「リンネー」という。文化大革命はチベット語で「リンネー・サルジェ」、これは漢語の「人類殺劫 renlei shajie」と似た発音になる。

 すなわち、このタイトルには、「文化大革命」はチベット人にとっての「殺劫」でしかなかったという意味が込められている。

本書は全五章からなっている。
 第一章「『古いチベット』を破壊せよ――文化大革命の衝撃」では、中国内地からの紅衛兵運動の波及、ジョカン寺に代表される仏教史跡・文物への破壊、「牛鬼蛇神」として吊し上げられた者たちの運命、チベット人の人名や地名の改名強制について、当時の写真と著者による関係者へのインタビューによって活写している。

 個人的に興味深かったのは、当時のチベット語には「牛鬼蛇神」なる概念がなく、無理やりチベット語に訳してみたものの、スローガンを叫ぶときは結局漢語(中国語)で「牛鬼蛇神」と叫んでいたこと、居民委員会が運動の組織化に大きな役割を果たしていたことだ。文革時代を知る者にとって、居民委員会は今でも恐怖の対象であるという。
 外部から持ち込まれた「階級闘争」によって、人倫を破壊され、宗教を破壊され、チベット人同士が憎しみ合い、チベット人たちの人間性が崩壊していく様は痛ましい。

 当時、先頭に立って寺院を打ち壊し、僧侶たちを「牛鬼蛇神」として吊し上げた「積極分子」たちのその後の運命も興味深い。ある者は文革をテコにのし上がり、ある者は仏教へと回帰し、かつて寺院を破壊した情熱さながらに熱烈な仏教信者となる。まさに人生百態、人生いろいろである。


 第二章「造反者の内戦――『仲の良し悪しは派閥で決まる』」では、チベット文革を主導した二大造反派が武器を取って争った様相と顛末が描かれている。彼らはチベットに駐留する軍の武器庫から武器を奪い、軍もこれを放任していたという。

 また、前章でも触れているが、当時の「積極分子」には、風見鶏のように巧みに態度を変え、その後もチベット自治区の要職にあった者も多かったという。著者は、このことはチベットにおいて文革が未だ清算されていないことと無関係ではないと指摘している。この個所には大いに驚いた。なぜなら、中国内地では、文革当時の「積極分子」の多くは文革後に左遷・解任の標的となっているからだ。


 第三章「『雪の国』の龍――解放軍とチベット」では、解放軍によるチベットへの軍事管制、軍隊内部の闘争、チベット人の民兵化、文革当時の解放軍軍人殺害事件について描いている。

 さらには防空壕建設によるポタラ宮への破壊にも言及している。当時、国際的孤立を深めていた中国は、核戦争に備え、全国で防空壕を盛んに建設しており、なんとポタラ宮の下の山にも爆薬で穴を空けて防空壕を掘っていたらしい。その過程でポタラ宮の建築にも大きなダメージが及んだとのことである。


 第四章「毛沢東の新チベット――『革命』すなわち『殺劫』」では、毛沢東が仏に代わって、チベットの新たな「神」として祀り上げられていく過程が語られる。


 第五章「エピローグ――二〇年の輪廻」では、文革後のチベットの歩みについて記されている。


 巻末には、藤野彰氏による解説「チベットの文化大革命――現在を照射する歴史の闇」が加えられ、チベットの文化大革命、チベット問題の現状について分かりやすく解説されている。チベット問題や文化大革命に詳しくない方には、先にこの解説を読んでから本文を読むことを勧めたい。注と参考文献リストも充実している。


 文化大革命については、中国および世界各国ですでに多くの論著や史料が出版されている。だが、チベットなど少数民族地区の文革はその中からすっぽり抜け落ちている。
 これは著者の夫である王力雄氏がいみじくも指摘するように、「国際社会に対して、文革は共産党の一つの不都合な出来事であり、チベットはもう一つの不都合な問題である。したがって、チベット文革は二重のタブーとなり、なおさら触れてはならないものとなっている」からだ(序文、p.8)。それだけに本書の価値は高い。

 写真愛好家だった著者の父が撮影した写真がすさまじい迫力で読者に迫ってくるし、文体にも翻訳特有のぎこちなさがなく、ページをめくるたびにグイグイ引きこまれ、わずか2、3時間で一気に読んでしまった。

 そして、著者が、決して漢人への民族的憎悪を煽らず、あくまで筆致を抑えた冷静な記述に努めていることには敬服せざるを得ない。

 

 

追記:記事冒頭にアマゾンの商品リンクを貼りました。

(2015.1.22)