定宜庄(上田貴子訳)「清代北京城内の八旗鰥夫」

定宜庄(上田貴子訳)「清代北京城内の八旗鰥夫」
井上徹・塚田孝編『東アジア近世都市における社会的結合――諸身分・諸階層の存在形態――』大阪市立大学文学研究科叢書第3巻、清文堂出版、2005年

 

 鰥夫(かんふ guanfu)とは、漢語で妻のない成人男子を指す。民間では俗に「光棍 guanggun」という。

 定宜庄氏は本論文で清末北京の「八旗戸口冊」を統計学的方法により分析し、北京の旗人の生計状況・家族構成・婚姻状況を考察している。

 「八旗戸口冊」とは八旗の戸籍簿であり、八旗の基本単位であるニル(佐領)毎に作成される。「八旗戸口冊」は、一般の生業に就くことを禁じられていた旗人にとり唯一の生活基盤である銭糧(俸禄)支給の根拠となるものであり、登録逃れは考えられず、また清朝の統治基盤である旗人は最も厳格な統制を受けていたことから、極めて信頼性の高い史料である。

 定氏は、まず論の導入として、清代の旗人の生計状況の概略を述べ、次いで咸豊年間の内務府旗鼓佐領(内務府所属の漢軍ニル)、光緒年間の内務府の満洲ニルの二つの「八旗戸口冊」のデータを集計している。定氏は、「八旗戸口冊」の集計データに基づき、清末の旗人の生計悪化により、妻を娶ることのできない独身男性が大量に出現していたことを明らかにしている。定氏が引用したデータでは、なんと独身男性の割合が旗人の成人男性のほぼ半数を占めている。

 次いで、「八旗戸口冊」・『清実録』・档案史料を用い、旗人成人男子の独身原因・家庭状況・生活実態を考察している。 
 官職に就けず、銭糧の得られない旗人(閑散旗人)は結婚したくてもできない。だが、八旗内では待遇面で比較的恵まれていた満洲旗人は銭糧が得られなくても、結婚できなくても、大多数は裕福な親兄弟に頼って生活できた。
 これに対し、生計手段がなく、結婚相手もなく、家庭も持てない独身男性は、待遇面で満洲旗人に劣る漢軍旗人に集中した。頼るもののない彼らは北京市井の無頼・聚賭(博徒)・匪人(強盗・ヤクザ者)の構成員となり、清末民国の北京城内の治安に悪影響を及ぼしていたという。

 また、定氏が紹介する清代後期・末期の北京の旗人のさまさまな生活実態で、前述の内容以外で興味深かった点は以下の通り。

旗人男性が貧困で妻を娶れないので、旗人女性には「老姑娘」(オールドミス)が多かった。

旗人と民人(一般漢人)は通婚禁止。ただし旗人男性と民人女性の結婚は黙認されることもあった。旗人女性と民人男性の結婚は厳禁。  

寡婦に与えられる生活保護に家族全員が頼るケースもあったこと。
(旗人を命がけで戦わせるため、寡婦の保護は特に重視されていた)
  
漢人に部屋を貸して家賃を取っていた旗人もいたこと。
(北京内城の漢人居住禁止も徐々に弛緩していたらしい)。

煙館(阿片窟)を経営する旗人もいた。

生活に困った宗室(ヌルハチの父の兄弟の子孫)の旗人たちの中には違法な賭博場を開くものもいたこと。

 本論文での「八旗戸口冊」による旗人の婚姻状況・家庭状況の分析は非常に面白かった。また、統計学的分析と併せ、他の文献史料も利用して、旗人の生活実態を具体的に明らかにしようとしている点も良かった。
 

 旗人社会史、ひいては北京の社会史を知る上で一読に値する論文だと思う。上田貴子氏による訳もこなれていて読みやすい。

定宜庄(上田貴子訳)「清代北京城内の八旗鰥夫」” に対して2件のコメントがあります。

  1. まんじゅ より:

    今年も一年お世話になりました。定宜庄さんはよく知っていますよ。劉小萌氏の師姐ですし、留学中もお世話になったし。

    北京内城の漢人居住禁止の緩和は、劉氏が今取り組んでいるテーマの一つです。法令と現実とのギャップというか、異なる部分もなかなかおもしろいですよ^^

    1. 電羊齋 より:

      こちらこそ今年一年間お世話になりました。
      定宜庄先生ともご縁があるのですね。

      最近、北京の満洲族の友人(劉小萌先生の教え子です)に勧められ、定先生の『老北京人的口述歴史』上・下(中国社会科学出版社)を購入しました。仕事の合間に少しずつ読んでいますが、色々面白い情報が含まれています。
      いわば、自分へのクリスマスプレゼントです。

      北京内城の漢人居住禁止の緩和は面白いです。定先生の論文でも触れられている旗人と民人の通婚禁止の弛緩もそうですが、法令と現実のギャップは興味深いものがあります。現代中国社会の「上有政策、下有対策」にも通じるものがあります。

      どうぞ良いお年をお迎えください。

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