おーい でてこーい 喂——出来

  「おーい でてこーい」というショートショートをご存じの方は多いと思う。

 星新一(1926~1997)の代表作の一つで、さまざまな言語に翻訳されている。

 ストーリーは以下の通り。

台風が去った後に突然現れた深い穴。誰か穴に向かって「おーい でてこーい」と叫び、石ころを投げ入れてみたが、底からはなんの反響もない。科学者が深さを測ってみてもどうやら底なしのようだ。人間はこれ幸いと、都会から排出される汚物や原子炉のカス、機密書類、実験動物の死骸、引き取り手のない浮浪者の死体その他なんでもかんでも穴に捨てていくが……

 この間本屋で立ち読みしていたら、中国の中学二年の国語(語文)教科書を発見。パラパラめくっていると、なんと星新一の「おーい でてこーい」の中国語訳が載っていた(中国語タイトル「喂——出来」李有寛 訳)。

 早速その教科書を購入してみた。

中学二年の国語教科書

中学二年の国語教科義務教育課程標準実験教科書『語文』八年級(下冊)人民教育出版社 2008年 。「八年級」は中学二年の意。

「おーい でてこーい」本文は教科書p112~119に掲載。

「おーい でてこーい 喂——出来」冒頭

「おーい でてこーい(喂——出来)」冒頭(p112~113)
脚注①二行目の星新一の生年と没年が(1926-1977)となっているが、これは誤りで、正しくは(1926-1997)。
脚注①第二行的星新一的诞生年和殁年印成“星新一(1926-1977)”,这是印错,应该订正为“(1926-1997)”。

 冒頭部分を日本語版と中国語版で比較してみると

(日本語)

おーいでてこーい

台風が去って、すばらしい青空になった。
都会からあまりはなれていないある村でも、被害があった。村はずれの山に近い所にある小さな社が、がけくずれで流されたのだ。朝になってそれを知った村人たちは、
「あの社は、いつからあったのだろう」
「なにしろ、ずいぶん昔からあったらしいね」
「さっそく建てなおさなくては、ならないな」
と言いかわしながら、何人かがやってきた。
「ひどくやられたものだ」
「このへんだったかな」
「いや、もう少しあっちだったようだ」
その時、一人が声を高めた。
「おい、この穴は、いったいなんだい」
みんなが集ってきたところには、直径一メートルぐらいの穴があった。のぞき込んでみたが、なかは暗くてなにも見えない。なにか、地球の中心までつき抜けているように深い感じがした。
「キツネの穴かな」
そんなことを言った者もあった。
「おーい、でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが、底からはなんの反響もなかった。彼はつぎに、そばの石ころを拾って投げこもうとした。
「ばちが当るかもしれないから、やめとけよ」
と老人がとめたが、彼は勢いよく石を投げこんだ。だが、底からはやはり反響がなかった。

(星新一『ボッコちゃん』新潮文庫 昭和四十六年(1971)、昭和六十二年(1987)改版、平成二年(1990))

(中国語)

喂——出来

      一场台风过后,晴空万里。
    在离城市不远的近郊,有一个村庄遭到了台风的破坏。不过,损失还不太严重,仅仅是村外山脚下那座小小的庙被台风连根卷跑了,并没有伤什么人。
第二天早晨,村里人知道了这件事以后便纷纷议论起来。
“那座庙是哪个朝代留下来的呀?”
“谁知道呀,反正是年代很久了。”
“必须赶快建造一座新的庙。”
正当大家你一言我一语的时候,有几个人神色慌张地跑了过来。
“不得了,闯大祸啦!”
“什么事?就在附近吗?”
“不,还要过去一点,就在那边。”
这时候,有一个人忽然失声惊叫起来:
“喂,快来看呀!这个洞究竟是怎么回事呀?”
大家跑过去一看,地面上果真有一个洞,直径在一米左右。人们探着头向里面瞧了瞧,洞里黑咕隆咚的什么也看不见。然而,人们却有一种深不可测的感觉,这个洞似乎是一直通向地球球心的。
有一个人怀疑地说:“该不是狐狸洞吧?”
一个年轻人对着洞里使劲地大叫了一声:
“喂——出来!”
可是,并没有任何回声从洞底下传上来。于是,他就在附近捡了一块小石头准备要扔进洞里去。
一位胆小怕事的老年人颤颤巍巍地摆着双手,想要劝阻年轻人别这么干。
“这可千万不能扔下去呀,说不定会受到什么可怕的惩罚的。”
但是,年轻人早就抢先一步,把石头扔进了洞里。然而,洞底下仍然没有任何回声传上来。

両方を比較してみると、中国語版はわりと自由に意訳してあるようだ。星新一の文章はギリギリまで無駄を削ぎ落しているので、そのまま直訳するとやや説明不足な文章になってしまうからだろう。

「おーい でてこーい 喂——出来」末尾

 これは環境問題に悩む今の中国にとって、非常にタイムリーな作品だろう。原作が発表された昭和三十三年(1958)、高度成長時代の日本がそうだったように。

 この作品が掲載されている教科書の「第三単元」自体も環境保護を訴える文章を集めた単元となっている。

第三単元(目次p2)

第三単元冒頭(p83)

「おーい でてこーい(喂——出来)」は「自然を敬う(敬畏自然)」、「ロプノール、消え去った仙湖(罗布泊,消逝的仙湖)」等、環境問題を取り上げた文章を集めた単元の中にある。第三単元の冒頭でも生徒に自然環境保護を呼びかけている。

「おーい でてこーい」練習問題・総合学習冒頭(p120~121)

「おーい でてこーい」練習問題・総合学習冒頭(p120~121)

 文末の練習問題・総合学習もやはり生徒に環境問題や科学について考えさせる内容となっている。
ネット上に公開されている授業用教案もそうした趣旨のものが多い。以下はその一例。

中无忧无虑中学语文网《喂——出来》教案1 (2010.5.27閲覧)

http://www.5156edu.com/page/05-11-19/1821.html

 中国にとって、環境問題が待ったなしの課題となりつつあるということだろう。

 それから、中国ではこの小説の「続編」がネットで公開されているらしい。作者は不明。
ストーリーは原作「おーい でてこーい」の結末から当然予想されるもの。

百度百科  喂——出来
《喂——出来》经典续写(2010.5.27閲覧)

http://baike.baidu.com/view/710070.htm#3

 中国版Wikiの「百度百科」にも項目があるとは!

おーい でてこーい 喂——出来” に対して6件のコメントがあります。

  1. 悦读者 より:

    QQを使ったら、ぼくをリストに入れてください。QQ:23251587.最近はニュースが多く、朝鮮半島軍事衝突、中国若者自殺事件相次ぎ、労働者デモ多発も注目を浴びます。元気でね

  2. 電羊齋 より:

    >悦读者 网络书店さん相変わらず元気です。暇なときはQQでおしゃべりしましょう。

  3. 裕之 より:

    日本のこんな作品が中国の教科書に載っているなんて、本当に面白いですね。作品として、どこの国でも通じる普遍性を持っているからなのでしょうね。原作者名がちゃんとしているところに、良心を感じます。

  4. 電羊齋 より:

    >裕之さんわたしも驚きました。確かに星新一の作品はこの「おーい でてこーい」をはじめとして、どの時代、どの国においても通じる普遍性がありますね。時代や風俗の描写を極力排除しながら、ストーリーの力によって人間共通の性をくっきりと描き出す星新一の偉大さを感じます。中国では80年代に星新一の作品が盛んに翻訳されており、この「おーい でてこーい」もその時期の翻訳のようです。今の中国社会の指導層は80年代に若者として星新一に接した世代ですので、それも教科書に採用された背景かもしれません。あと20年もすれば、村上春樹も中国の教科書に載るかもしれませんねえ。>原作者名がちゃんとしているところに、良心を感じます。同感です。万博のパクリソングとはエライ違いです。教科書なんでさすがにそのへんはしっかりしてますな。

  5. Namreth.Guls より:

    琐事缠身,许久未至,惭愧惭愧。环保问题就不谈了,说起语言问题,去年略读了一本日语翻中文的“教材”,得出俗见:想将日语原文翻译得精准,表达得恰如其分,很不容易。书里的例子似乎是一段关于“金刚钻”的对话。

  6. 電羊齋 より:

    >Muhyouka. Namreth.Gu​lsさん没关系。我也最近很忙。〉想将日语原文翻译得精准,表达得恰如其分,很不容易。我也颇有同感,真不容易。这个“喂——出来”中文版也不是完全表达星新一文章的犀利味道的。这些味道很难翻译。

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