『満洲実録』名場面集 その6

年代:丙戌年(1586年、明万暦十四年)
画像は『満洲実録』第二巻から

 

 

・左枠
[満:taidzu dehi niyalma i emgi ambula afaha,,(太祖は四十人と混じり大いに戦った) ]
[漢:太祖獨戰四十人(太祖獨り四十人と戰う)]
[蒙:        ]

 

 

 

 丙戌年(1586年、明万暦十四年)五月、ヌルハチはフネへ部のボイホン寨 Boihon šancin(貝歓寨)を攻め取り、七月にジェチェン部のトモホ城 Tomohoi hoton(托漠河城) を攻め、降服させた。これで周辺勢力との抗争は一段落がついた。

 

 さて、これまで周辺勢力との抗争に忙殺されてきたヌルハチだが、ここにきてようやくニカン=ワイランのいるオルホン城 Olhon i hoton(鄂勒琿城) を攻めることとなった。
ヌルハチは早速敵地を突っ切り、オルホン城を急襲して攻め取った。だがニカン=ワイランはすでに明の領内に逃亡した後だった。

 

 その時、オルホン城外の村で四十人の集団が女性や子供を連れて避難しようとしていた。ヌルハチは、集団を率いている人物を見て彼こそがニカン=ワイランに違いないと考えて、一人で四十人の集団に斬り込んでいった。ヌルハチは三十ヶ所もの傷を負ったがなおもひるまず、弓で八人を射殺し、一人を斬り倒し、残りを蹴散らした。だが、その人物はニカン=ワイランではなかった。

 

 ヌルハチは、オルホン城で捕らえた漢人に「ニカン=ワイランという者を捕らえて連れてこい。ニカン=ワイランを引き渡さなければお前たち大明を攻めるぞ」という伝言を与えて解き放った。

 

 

・左枠
[満:jaisa batangga nikan wailan be wafi,taidzu de uju alibuha,,(ジャイサが仇のニカン=ワイランを殺し、太祖に首を捧げた) ]
[漢:齋薩獻尼堪外蘭首(齋薩尼堪外蘭の首を献ず)]
[蒙:        ]

 

・挿絵
左側でひざまずき、生首の辮髪を掴んでいる人物
満:jaisa (ジャイサ)
漢:齋薩

 

 

 

 明はヌルハチに使者を送り、「皇帝(万暦帝)に帰服した者を引き渡す法などあるか。お前が殺しに来るというのはどうだ」と提案した。明はすでにニカン=ワイランを見放していたが、さりとて一旦自国に亡命した者を公然とヌルハチに引き渡せば面子が潰れる。そこでヌルハチが明領内に出向いてニカン=ワイランを殺すよう提案したと思われる。
だが、ヌルハチが「誰が信用できるか。お前たちは私をだまそうとしているのだろう」と強硬な態度に出たので、明の使者は少人数を受け取りによこせば、ニカン=ワイランを引き渡すと約束した。
ヌルハチはジャイサという者に四十人の兵を与えて身柄の受け取りに行かせた。ニカン=ワイランは明の見張り台(挿絵参照)に登って逃げようとしたが、台の上にいた明人たちは梯子を引き上げ、ニカン=ワイランの退路を断ち、ジャイサたちに殺されるに任せた。こうして、明はニカン=ワイランをヌルハチに売り渡したのだった。
明は、祖父と父の死の責任を認め、毎年銀八百両、蟒緞(龍の紋が入った緞子)十五疋を与えることを約束した。
挙兵から三年、ヌルハチはようやく祖父と父の仇を討った。

 

 

 

(つづく)
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史料・参考文献
史料
『満洲実録』(『清実録』中華書局、1985~87年→『清実録』超星数字図書館CD-ROM(中華書局版を画像データ化))
今西春秋訳『満和蒙和対訳満洲実録』刀水書房、1992年

 

参考文献
(中国語)
閻崇年『努爾哈赤伝』北京出版社、1983年
(日本語)
松浦茂『清の太祖 ヌルハチ』中国歴史人物選、第十一巻、白帝社、1995年