2024年9月23日 月曜日 晴れ 読書など

10時頃起床。
今朝は涼しい。
ようやく秋めいてきた感じがする。

午前中から昼頃にかけて読書。
昨日の続きで、松沢裕作『歴史学はこう考える』 (ちくま新書1815、筑摩書房、2024年)を読む。

昼食後、14時から17時過ぎまで、阪神VS巨人戦(甲子園)を見る。
今日は痛い敗北。
巨人のマジックが4に。
今日は序盤の再三の逸機が後々に響いたなと。

とはいえ、遥人のピッチングは立派だった。九回の糸原と植田海も良かった。ドンマイドンマイ!
残り試合全部勝って、巨人が全部負ければ優勝!
まだまだ!まだ終わらんよ!

試合を見終わってから読書を再開。
松沢裕作『歴史学はこう考える』を読了。
以下感想を述べる。

歴史学の考え方をわかりやすく語る。
そもそも「史料」とは何かから始めて、史料批判、史料の記述から何が言えるか、政治史・経済史・社会史それぞれの論文を例とした論文の書き方、ランケに始まる近代歴史学とマルクス主義的な歴史研究、時代区分の問題などなど歴史学の重要なトピックに言及。いずれも具体的に、わかりやすく、ていねいに説明されていて非常に参考になった。
歴史学入門や史学概論はともすれば抽象的で雲をつかむような話になりがちだが、本書ではそういうことがなかった。
本書で印象的だったのは、歴史家と読者の思想や立場の違いにかかわらず、史料に基づきその史料の述べていることを読み取ろうという努力を怠っていない限りは、その論文は読むに値するという著者の語りかけ。
この部分を引用すると以下の通り(ここのところは案外忘れられがちなんだよねえ……)。

それでも、歴史家の書くものなんてしょせん歴史家の思想によって切り取られたもので、読むに値しないなどと考えてしまう必要はありません。もし、その歴史家が、史料にもとづき、それなりにその史料の述べていることを読み取ろうという努力を怠っていない限りは(本書の第三章から第五章でみた論文はいずれもこうした努力の結果として生まれたものです)。
あなたがどのような思想をいだいているにしても、ある論文が、マルクス主義者の書いたものだから、天皇制擁護論者の書いたものだから、フェミニストの書いたものだから等々、その他その歴史家が何か「偏った」考え方をしているから、その論文はそれだけで読むに値しないものである、などということはないのです。(同書第6章、p.205(Kindle版))

これから歴史を研究しようとする人だけでなく、歴史書・歴史論文の読者にとっても基本に立ち返らせてくれる本だと思う。

さて、今日は適当に晩ご飯を食べて、それからまた読書する予定。