自己紹介とお一人様ブログについて

クリスマス企画として、本日2024年12月11日(水)から12月25日(水)のクリスマス当日まで特定のお題の記事を一つずつ掲載します。
名付けて「電羊齋お一人様 Advent Calendar 2024」。

最初のお題は「自己紹介とお一人様ブログについて」です。

自己紹介とお一人様ブログについて

自己紹介

まず、私、電羊齋(でんようさい)について一通り自己紹介を。
まあ、本ブログ上側のメニューの「自己紹介」に大まかなことは書かれていて、それで充分なのだが、ちょっと詳しく書いてみようと思う。
お暇な方は付き合っていただきたい。

「電羊齋」というハンドルネームについては次の章で詳しく触れる。

性別は、生物学的には「男性」の部類に入り、性自認も男性なのだが、どちらかと言えば「男らしくない」人間である。
子供の頃から腕力は弱く、運動神経はゼロ、世間で「男らしい」とされることはすべて苦手で、泣き虫で、本を読んでいるのが好きだった。今でもそんなに変わっていない。
「アンタそれでも男か」と言われ続け、そのことにずっとコンプレックスを抱いてきたが、40の坂を越えたあたりから開き直って、「俺は俺だ」と思えるようになった。

1973年(昭和48年)生まれの51歳。いわゆる団塊ジュニア世代、氷河期世代。まあ、いろいろあったなあと。

誕生日は11月11日。ゾロ目。中国では「独身の日」らしく、中国人からはよくネタにされる(苦笑)。

職業は紆余曲折を経て、在宅フリーランス産業翻訳者に落ち着いた。
毎日自宅内でパソコンの前に座って仕事している。

学歴は修士(史学専攻東洋史専修)。
まあ、研究の最前線で活躍している研究者をプロ野球の一軍選手とすれば、私は三軍あたりの育成選手で終わったようなもの。プロの凄さをかいま見たものの、結局は挫折した。
今はアマチュア歴史愛好家として本を読んだり、勉強会に出て、勉強を楽しんでいる。

生まれた場所は大阪の北摂地区で今は京都市の洛外某所に住んでいる。
繁華街や観光地からも適度に離れ、どこに行くにも便利な場所でけっこう気に入っている。

父は徳之島の出身。私はいわば島人(しまんちゅ)二世といったところ。父同様奄美の黒糖焼酎が大好きである。口当たりがいいのでついつい飲みすぎる。
母は広島県の出身。そのため広島弁と広島の文化も好き。

趣味は阪神タイガースの応援、野球観戦、上方落語(特に桂米朝)、清朝史、満洲語、晩酌など。
阪神タイガースへの私の狂信的な愛については別に記事にする予定。

特技は特にない。無芸大食でいちびり(ふざけている、調子に乗っている)な人間である。

発達障害(ASD、ADHD)の診断を受けている。
小さい頃から「空気が読めない」人間で周りに誤解されたり、コミュニケーションが苦手だったり、衝動的な行動をしてしまったり、忘れ物が多かったりするなどいろいろ苦労してきた。
大人になってから診断を受けてみて、自分の特性についてより深く知ることができるようになり、その分対策を立てやすくなったし、その分生きやすくはなったと思う。

好きな食べ物は基本的に「粉もん」である。
たこ焼き、お好み焼き、うどん、それから中国の刀削麺、ワンタン、水餃子も好き。
羊肉、黒糖も好き。

嫌いな食べ物は納豆とキュウリ(瓜類は全体的に苦手かな)。

座右の銘は「目立たぬように、はしゃがぬように~似合わぬことは、無理をせず~」。これは河島英五「時代おくれ」の歌詞の一部である。
オッサンたるものこうあるべきだと感じたので、座右の銘にしている。
根が「いちびり」なので、なかなかこういうオッサンにはなれないが。

ハンドルネームの由来とネットを始めたころ、そしてお一人様ブログへ

1996年、大学院の修士課程時代に初めて研究室のパソコンからインターネットにアクセスし、その後2000年秋頃に初めて自分のノートパソコンを購入して、本格的にネット廃人への道を歩み始めた。
別記事で詳しく書くが、当時私は陸上自衛隊に勤務し、駐屯地内の営内(独身寮)の4人部屋で生活していたので、部屋に勝手にネット回線を引き込むわけにはいかず、モバイル端末でネットにアクセスした。当時はDDIポケットのH”(エッジ)や定額制のAirH”(エアエッジ)というモバイル端末をノートパソコンにつないでネットにアクセスしていた。まあ、今とは比べものにならないほど遅い通信速度だったけど。

その時、歴史系のウェブサイトや一般の掲示板に出入りするようになり、使い始めたハンドルネームが「電気羊」だった。由来は、私が好きなP・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? Do Androids Dream of Electric Sheep?』である。
その後、2004年春に2任期満了除隊して、中国の瀋陽に留学して、引き続きネット廃人をやっていた。向こうのアパートでようやく自分のブロードバンド回線を引いた。

2005年春頃、その頃ちょうど個人ブログ開設がはやり始めたので、エキサイトブログで初めてのブログを開設してみた。
ブログタイトルは「瀋陽は涙を信じない」(現在は削除済)。好きな映画の「モスクワは涙を信じない」にちなんだものだった。
しかし、2005年の春頃に、中国のアクセス規制により、中国からエキサイトブログにアクセスできなくなってしまった。

そこで注目したのが当時人気だった「MSNスペース」というサービスだった。
「MSNスペース」は多言語対応で、中国語でも、満洲語のメーレンドルフ式ローマ字で使用する特殊文字でも文字化けが発生しなかったので、利用を決定。
2005年5月から利用を開始。タイトルは「瀋陽は涙を信じない 沈阳不相信眼泪 Mukden yasa i muke be akdarakū」だった。

タイトルの「Mukden yasa i muke be akdarakū」とは「瀋陽は涙を信じない」の満洲語訳である。実は開設当初は満洲語のミスで「Mukden yasa i muke be akdakū」となっており、翌年2月にとある清朝史研究者の方に指摘されるまで気づかなかった。情けない限り。

なお、2005年の秋ごろから、ハンドルネームを「電気羊」から「電羊斎」に変更した。
検索してみると、ハンドルネームとして「電気羊」を使用している人が非常に多かったからだった。
そこで頭をひねって、「電羊斎」にした。
後に正字体の「電羊齋」に再変更し、さらに満洲語ハンドルネーム「Talkiyan Honin Jai」(「電羊齋」の直訳)も考案して現在に至る。

MSNスペースで開設したブログは、MSNスペースのサービス終了によるWordPress.comへの移転、独自ドメイン取得、レンタルサーバーへの引越を経て、現在使用している本ブログへとつながっている。

現在はさくらインターネット株式会社のレンタルサーバーを借りて、WordPressのシステムをインストールして運営している。まあ、レンタルサーバーとはいえ、他サービスからは独立したお一人様ブログ、お一人様サイトである。誤操作で記事が消えてしまったり、セキュリティを敏感にしすぎて自分がロックアウトされるなどのトラブルもあったが、最近はなんとか安定的に運営している。

2011年始め頃からTwitterなどSNSにのめりこみ、一時は本ブログの更新が滞ったが、Twitterがだんだん「修羅の国」になっていき、イーロン・マスクによる買収以降ますますそれが加速したので、ブチ切れて昨年8月にTwitterのアカウントを完全に削除した。それとともに本ブログに回帰するようになった。まあTwitterを「損切り」したといったところか。

アフィリエイトと広告はうまくいかないので結局あきらめた。
書評記事で書影を表示する目的でAmazonのアフィリエイトをやっていたが儲けは多くても月数百円。サーバー代も出ない。しかも最近Amazonのアフィリエイトリンクがうまく表示されなくなったので削除した。Google広告の導入も以前試みたが、審査に通らずあきらめた。

タイトルも数度の変更を経て、「電羊齋雑記 Talkiyan Honin Jai hacingga ejebun」に落ち着いた。「hacingga ejebun ハチンガ・エジェブン」とは「さまざまな記録」といった意味である。

中国での留学生活、中国での仕事生活、帰国後の紆余曲折、そして現在へと至るさまざまな軌跡や思いが本ブログには書かれている。
今読み返すと「偉そうなこと書いとるなあコイツ」とか「この時期はドン底だったよなあ」とか……、まあ「いろいろあったなあ」という気がする。
本ブログは来年の5月で20周年を迎える予定である。