脱日論 その四――あと2060日、ふるさとは遠きにありて思ふもの

あと2060日。

何のことかと言うと、5年後の2025年での自分の誕生日、2025年11月11日までの日数だ。
今日、私は2025年11月11日までに海外移住、日本脱出を実現することを決心した。
この5年という
数字はあくまで大まかなもので、誕生日にしたのも単に覚えやすいからである。
ただ、遅くともその頃までには海外移住を実現したい。

海外移住を決意した理由は、結局の所自分はどんなに努力しても日本という国に適合、適応できず、みじめな思いばかりしてきたということだ。

今までさんざん悪口や愚痴を書いてきたが、やはり自分は日本生まれの日本育ちの日本国籍者なので、日本への愛情は捨てきれない。
日本の歴史と文化、そしてそこに暮らす人々を愛しているし、日本語という言語には誇りを抱いている。

だが、これまでの人生、特に中国から帰国してから現在までの約8年間は自分の仕事でも家庭でもみじめな思いばかりしてきた。
そして生来の発達障害で周りから孤立しがちなところに、さらには心身の過労から双極性障害を発症し、メンタルと体力がともに崩壊し、転職を繰り返す。

また、世の中は世の中で理不尽なことばかりで、それが回りまわって自分にも降り掛かってくる。
世の中を変えたいと思うが、選挙で投票することしかできない無力な自分は歯がゆい思いをするばかり。憤懣だけが心の奥に積もっていく。

そして、日本という国と社会は自分のような人間を受け入れてはくれないことを痛感させられた。
自分は日本を愛しているが、日本は自分を愛していない。

 

ならば、せめて我が愛する祖国の足手まといにならないよう、海外移住したい。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」である。
日本に帰ってきて、室生犀星のこの詩の意味が身にしみてわかった。

小景異情(その二)

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

これから英語、中国語など語学の学習、移住先候補探し、移住方法の立案と実行、そして貯金などなど、やらねばならないことが山積み。
それに日本にいる間にやっておきたいこと、見ておきたい場所もある。
時間はあまり残されていない。

年齢的にも体力的にもそろそろ厳しい状況になりつつある。
だが、このまま日本にいては、社会的にも肉体的にも死あるのみ。

最後の力を振り絞って、努力していきたい。