張之洞 著・深沢一幸 訳注『輶軒語――清朝科挙受験指南』

張之洞 著・深沢一幸 訳注『輶軒語ゆうけんご――清朝科挙受験指南』(東洋文庫924、平凡社、2025年)

本書は、張之洞が科挙受験生に向けたいわばガイドブックである。
読書と学習の心得、経(儒教の経典)・史(歴史・地理)・子(思想・科学など)・集(文集・詩文など)など各分野での具体的な中国古典の学習法、具体的な科挙受験対策などが盛り沢山に紹介され、今でも参考になる指摘が多い。

印象に残ったのは、いい文章を書くにはたくさん読書しなければならないということを繰り返し述べている点。これは古今東西に共通する一種の真理なのだろう。

また、「書を読むには記憶力が好くないと言い訳してはならない」、「書を読むには書がない暇がないと言い訳してはならない」……などなど積読家で怠け者の自分にとって誠に耳の痛い言葉も多い。

以下、読んでいて、自分の心の中を言い当てられてグサッと刺さった箇所を引用する。

書を読むには書がない暇がないと言い訳してはならない

……さらに一つの弊害がある。人に読書をすすめると、多くは暇がないというが、遊びや昼寝には暇が多いことを思わないのだ。一ページの数行を偶然目にしたら、他日事にに遇ったとき、あるいはちょうど役に立つかもしない。幼くして真の読書を学んだ者でなければ、終日身なりを整えて端座し、読書の時刻を限定するということは断じてないのである。(p.77 学を語る 第二)

自分の場合、本を読むにはまとまった時間を作らなくてはならない、姿勢を正して集中して読まなければいけないと意識するあまり、仕事や家事の合間、移動中などといった隙間時間を使って本を読むことをしなくなっていた。
読書の時間はまとまった時間を取りやすい土日休日のみになりがちで、隙間時間を有効に使えていなかったと思う。
また、それを「本を読む暇がない」という自分への言い訳にしていたところもある。

別に「身なりを整えて端座し、読書の時刻を限定」しなくてもいい、片手間でもいい、一ページの数行ずつでもいいから読んでいけばいいということだろう。

また付録の奏摺(上奏文の一種)には当時の四川省での替え玉受験など科挙での不正、それに対する張之洞の解決策などが書かれている。

中国古典学習入門、具体的な科挙受験対策、清末の科挙制度の実態としてなどなど、いろいろな角度から読めて非常に面白かった。
これからも折に触れて読み返したい。いつか原文も読んでみたい。

 

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