東方録夢――第四回 「以上」と「以下」について

このあいだ、ふとこんな動画を見かけた。
冒頭で「それ以上でもそれ以下でもない」という言い回しに軽やかなツッコミが入る。
たしかに、数学の世界に照らせば「それ以上でもそれ以下でもない」 状態など存在しない。数直線の上で居場所を失ってしまう。不思議な表現だ。

「以上」と「以下」という言葉は、本来ならその数を含むはずだ。
「100以上」といえば100を起点として、それより大きい方向へ伸びていくし、「100以下」なら100より小さな方向に広がっていく。技術系の文書や契約書、法令など、数字の扱いが命綱になる場面では、もちろんこの原則がきっちり守られている。

ところが日常会話となると事情が変わる。
日本語では「以上=超える」、「以下=及ばない」といった意味で使われることが少なくない。言葉の運用に、いつのまにか微妙なズレが生まれているのだ。

そして中国語になると、その揺らぎはさらに大きくなる。正規の文書でさえ、文脈によって「以上」や「以下」が「その数を含む場合」と「含まない場合」のどちらにも転ぶことがある。
中国の法令上は日本と同じく「以上・以下=その数を含む」ことになっているのだが、実際にはそうなっていない文書も珍しくない。

たとえば中国語の文面で「100以上」と書かれていたとする。
それが「100を含むのか」、「100を含まないのか」は、文脈、すなわち書き手の意図と読み手の推測に委ねられ、数字の境界がぼやけ、読み手をふと立ち止まらせる曖昧さが漂う。
そのため、技術文書など厳密さが必要な場面では、より直接的な「大于等于(大于或等于)」(~に等しいかまたはこれを上回る)、「小于等于(小于或等于)」(~に等しいかまたはこれを下回る)といった表現が使われることが多い。

言葉は便利だが、思っている以上に曖昧だ。
数字のようにカチッとした世界にさえ、文化や慣習が入り込み、じわりと形を変えていく。今回の気づきは、言語が持つ柔らかさ、あるいは曖昧さを改めて思い出させてくれた。

以上、ちょっとしたメモ。