羅振玉と神戸牛
羅振玉(1866~1940)は、中国、清末から中華民国にかけての考証学者・金石学者、字は叔言、号は雪堂、浙江省上虞県の人である。
羅振玉は視察、さらには辛亥革命後の亡命も含めて中国と日本をたびたび往来しているが、彼が神戸牛(神戸ビーフ)について書き残している記述を見つけたので、メモとして残しておく。
それは清朝末期、光緒二十七年(明治三十四年、西暦1901年)に、当時の清朝政府の重鎮である劉坤一・張之洞の命を受けて訪日し、2ヵ月間にわたって日本の学制の視察を行った時の旅日記『扶桑両月記』に記されている。
彼は光緒二十七年十一月初四日(西暦1901年12月14日)に神戸丸に乗船して上海を出航し、初六日(12月16日)に長崎、初七日(17日)に下関に寄港し、初八日(12月18日)朝に神戸に到着した。
そこで清朝政府の領事署(領事館)に赴き、神戸領事の黄以霖(1856~1932)を訪問した。
羅振玉は、黄以霖に「改良亭」という店での昼食に招待され、そこで神戸牛を食したらしい。
以下、原文と日本語訳を掲載する。原文は手元にある羅振玉『羅振玉学術論著集』第十一集(集蓼編 外八種)(上海古籍出版社、2013年)により、日本語訳は、深澤一幸 訳注『羅振玉自伝――集蓼編その他』(東洋文庫 908、平凡社、2022年)、p.134-135によった。なお原文の漢字はすべて新字体に置き換えた。
日本語訳文の()内は深澤氏による注、〔〕は羅振玉による原注である。
初八日 晨抵神戸。至領事署、拜黄伯雨太守以霖。伯雨邀至改良亭午餐、饌中牛肉頗肥嫩、惜太生。案日本牛以神戸為最、屠殺之前一月、必飼以精料、故甚美。午後六點七分鐘、至三之宮火車桟、乗汽車発東京。夜間見大野有雪痕、知此間久見雪矣。
初八日(十八日) 朝、神戸に着く。領事署に赴き、黄伯雨太守〔以霖〕に拝謁する。伯雨は改良亭の昼食に招待してくれた。料理の中では牛肉がとても脂がのって柔らかく、レアすぎるのが惜しまれる。案ずるに、日本の牛は神戸を最高とし、屠殺前の一か月は、かならず高質の資料で飼育するので、とても美味しい。午後六時七分、三ノ宮駅に着き、東京行きの汽車に乗る。夜間、大平野に雪の痕があるのを見、このあたりは前から雪を見ていることがわかる。
中国から来た羅振玉が「案ずるに、日本の牛は神戸を最高とし」などと書いているということは、1901年当時すでに神戸牛のブランドイメージがかなり広く浸透していたということだろう。
羅振玉は他にも興味深い観察を残しているので、暇と機会があればまた取り上げたい。
以上、覚え書きである。