森平雅彦 編『朝鮮の王朝外交―― ”ややこしさ”からの気づき』
森平雅彦 編『朝鮮の王朝外交―― ”ややこしさ”からの気づき』(集英社新書、集英社、2026年)
三国時代から朝鮮王朝までの朝鮮半島外交史をさまざまな角度から照射している。
これまでの「ややこしさ」、「事大主義」などの一面的イメージを覆す新しい研究が反映されている好著。
本書は3部構成となっており、第1部が古代、第2部が高麗時代、第3部が朝鮮時代となっている。()内は執筆者。
各部には最初にその時代の概観が配置されている。
「はじめに――ややこしくも豊かな国際関係へのいざない」(森平雅彦)では、これまでの朝鮮史・朝鮮外交史でのステレオタイプ的イメージ、すなわち「ややこしい」・「事大主義」・「他律性」などが紹介される。筆者はそれらはあくまで一面的なイメージであるとして、歴史を多角的、さまざまなレベルから観察することの重要さが説かれている。
その上で、「力の論理」による大国主義が横行する世界での「小国主義」の必要性を提示し、
前近代朝鮮の国際関係をこうした観点から見つめ直し、国際対応の多様な「ひきだし」を発見し、その背景や、もたらされた結果を多角的に吟味することは、近現代の経験を通じて培われてきた従来型の「常識」や「作法」では対処しがたくなっている現在と未来の国際情勢に向き合っていくうえで、発想の幅を柔軟に広げるための「気づき」の可能性に満ちているのではないだろうか。(p.27)
と指摘しているのには膝を打った。
第1部の「古代」では、高句麗・百済・新羅~統一新羅の外交史が紹介されている。
第1章「古代史の概観」では、朝鮮半島の歴史の始まりから三国時代を経て統一新羅に至る歴史が概観されている。
第2章「二正面作戦を回避せよ! ――古代東アジア世界における高句麗の外交・軍事戦略」(森平雅彦)では、三国時代に中国大陸の諸政権および百済・新羅と渡り合い、二正面作戦を回避する外交・軍事戦略により国を維持し、それが破綻したときに滅亡した高句麗の外交史がわかりやすく語られている。
第3章「拝借とオリジナルのあいだ ――5・6世紀の百済における南朝将軍号と官位」(井上直樹)では、南朝の将軍号・官位の国内導入からオリジナルの称号へと向かう百済が描かれている。百済国内の漢人系官僚への南朝官位の授与は非常に興味深い。百済王族・貴族、漢人系官僚などさまざまな出自を持つ臣下を掌握する手段として官位が運用されていたらしい。
第4章「国内統合とディアスポラ ――統一新羅の統合政策と百済・高句麗遺民問題」(植田喜兵成智)では、統一新羅時代の新羅・渤海・唐・日本での高句麗・百済遺民の動向とその存在感が指摘されている。新羅の内政と対東アジア外交に高句麗・百済移民の存在が影響を与えていたというのは面白かった。これまで新羅・渤海・唐・日本史の研究で個別に把握されていた高句麗・百済遺民について、広く東アジア的な視点から捉える視点は自分にとって「目からウロコ」だった。
第2部「高麗時代」では、高麗時代の外交史が紹介されている。
第5章「高麗時代の概観」では、建国から滅亡まで複雑な過程をたどった高麗の歴史が概観されている。
第6章「地域限定の天子? ――高麗の君主は皇帝なのか王なのか」(森平雅彦)では、高麗の君主が時に「皇帝」を称し、中国向けには「王」を称していたと指摘している。そして、その背景として、東アジアに遼・金・西夏・宋などさまざまな王朝が並立した多極化時代での「多元的天下観」があったのではないかとしている。
第7章「「華風」好みのリアリスト ――高麗王朝の外交と文化意識」(豊島悠果)では、高麗王朝が「華風」すなわち宋の文化を好みながら、外交的には遼・金・宋の間で極めてリアリスティックな動きをしていたとしている。
第8章「はじき出されず、吞み込まれず ――モンゴル帝国の覇権と高麗(森平雅彦)では、モンゴル帝国・元朝に対して「はじき出されず、呑み込まれず」に立ち回った高麗の綱渡り的な立ち回りが描かれている。元朝に接近し、側近関係・姻戚関係を結ぶまでに至るが、元朝の一地方として呑み込まれることはなかった高麗の巧みな立ち回りが丁寧に説明されている。モンゴル帝国の性格、高麗のリアリズム外交を考える上で読み所の多い章である。
第3部「朝鮮時代」では、朝鮮王朝時代の外交史が紹介されている。
第9章「朝鮮時代史の概観」では朝鮮王朝の成立から1876年の近代国際社会への「開国」までを概観している。
第10章「侯国外交のアポリア ――朝鮮王朝の事大と交隣の両立」(木村拓)では、世宗によって形作られた明朝への「事大」と日本との「交隣」の両立という外交方針について論じている。明朝への「事大」を行う以上、隣の国と勝手に交渉を持つ「私交」は認められないとされていたが、世宗は隣国への「礼」という理念を提示することで、「事大」と「交隣」を両立させようとする。その論理はなかなか面白く感じた。その後も「私交」問題は続くが、明の国際的威望の失墜そして後金の脅威の急増の中で、朝鮮王朝が日本との「交隣」は明朝よりも上位にある「天」が命じるものであると表明する過程も興味深い。
第11章「忘れられた真実 ――朝鮮・後金関係と「交隣」の行方」(鈴木開)では、「清が朝鮮に対して最初から上位に立ったわけでも、またやがてそうなることが宿命づけられていたわけでもないという事実」(p.271)が示されている。朝鮮が後金(清)との関係を構築する上で、日本・琉球との「交隣」関係の理念を援用していたこと、光海君時代と光海君をクーデターで打倒した仁祖時代の外交政策が実は後金との「交隣」という面では連続していたことなど興味深い指摘が多い。
第12章「外国商人は入るべからず ――朝鮮後期の国際通商」(辻大和)では、朝鮮時代後期の特に華人商人との国際通商について紹介されている。
朝鮮後期の日本との交易では倭館での交易、清朝との交易は①朝貢貿易、②開市(国境地帯での市場開設)、③清使節の三つに分類して紹介されている。
華人商人など外国商人は基本的に朝鮮国内には立ち入れなかったし、海路では海禁政策により立ち入りが封じられ、陸路からの立ち入りも中国東北地方での封禁政策(清が王朝発祥の地である中国東北地方への旗人以外の立ち入りを制限した政策)により封じられた形になっていた。
「むすびにかえて――そして〝ややこしさ〟は続く」(森平雅彦)では、その後の朝鮮半島近代史が紹介した上で、以下のように述べている。
朝鮮をめぐる国際関係と、そこでの朝鮮の動きが「ややこしく」見えるのは、見る者の理解が追いついていないだけだ。背景や理屈を丁寧にたどっていけば、必ずしも「ややこしい」ものではない。いまはまだ理解できていないだけだと思えば、はじめから「ややこしい」と突き放す必要もない。いやむしろ、こうした「ややこしさ」についていけるだけの冷静さと粘り強さを持ちたいものだ。日本を取り巻く情勢も、とっくに「ややこしく」なっているのだから。(p.318)
自分としてもしっかり心に刻み込みたい。
そして、一見「ややこしく」見えたりするものでも、その背景や理屈を丁寧にたどっていけば「ややこしい」ものではないこと、他者の中にある論理を観て、自分たちの中の論理を省みるきっかけとすることが説かれている。
賛成したい。
本書は近年の新しい研究動向が反映されており、これらを日本語、しかも新書という手軽な形式で読めるのは実にありがたい。
タイトルにもあるとおり、「気づき」に満ちた内容であり、まさに「目からウロコ」の指摘が多く、面白くて一気に読めた。
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