知識の「排泄」
皆さんご存知のように、私は本ブログでは日記以外にも清朝史やら八旗やらいろいろ書き散らしている。
実際人気がないのはわかっている。自分の文章は全然下手くそだし、内容自体もまだまだ間違いがあるだろう。
でも、なぜか書いてしまう。少なくとも一,二週間に一度のペースで書いている。
なぜだろうか。
私はこれまでいろいろ中国史、特に清朝史に関する本をたくさん読んできた。当然いろんな知識が頭に入ってくる。
しかし、知識をただ詰め込む一方だと頭がパンクしてしまう。知識をいったん頭の外にほおり出して、いったん脳みそを空っぽにしてやらないと、ずっと同じことばかり考えていつまでたっても悩み続けてしまう。
しかも、頭の中でああでもない、こうでもないと悩むより、まず文章に書いてみたほうが整理がつきやすい。
そこで、読む人がいるかどうかにかかわらず、とりあえず書いてみることにした。
たとえは悪いが、絶えず体内の不純物や老廃物を排泄しないと、健康を保つことが出来ないのと同じである。
(この部分は私の大学院時代のある先生の受け売りなんですけどね)
知識を少しは「排泄」してやらないと、頭の健康が保てないのである。
まあ、脳のメモリーが足りないだけかもしれませんけどね・・・・・・
“知識の「排泄」” に対して2件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
学術的知識というやつは、世にもてはやされたりはしませんけど、新たな学説や知見の登場で否定されない限り、歳月によって価値が衰えることが少ないってのはあると思います。一時の流行すたりや人気にたよるものは、すぐに価値が衰えますから。地味に見えても積み重ねは大事と思います。
>nagaichi 様
おお、ひさびさに日本人のコメントが!
励ましのコメントありがとうございます。
私の文章は別に学術的といえるほどの文章ではありません。少し照れますね。
(以前は研究者を目指したことはあるのですが、。。。。)
でも、地味に見えてもすこしずつ積み重ねていけば、それなりにいいブログになるかもしれないですね。
昨日も清代人物列傳の「グルマフン」の後半を書いていました。
月曜日ごろには公開できると思います。