『満洲実録』名場面集 その10

満洲語&清朝史普及計画

清の太祖ヌルハチの一代記『満洲実録』から、挿絵を抜き出してアップロード。
画像は断りのない限り以下の文献からの引用です。
『満洲実録』(『清実録』中華書局、1985~87年)第二巻

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年代:癸巳年(1593、明万暦二十一年)

 癸巳年(1593、明万暦二十一年)九月、ついに事態が大きく動き出した。

女直(ジュシェン)内部の各勢力略図(松浦茂『清の太祖ヌルハチ』p.87)

女直(ジュシェン)内部の各勢力略図(松浦茂『清の太祖ヌルハチ』p.87)

 

 イェヘ部、ハダ部、ウラ部、ホイファ部、嫩(ノン)コルチン Nūn Korcin 部及びシベ Sibe 部、グワルチャ Gūwalca 部、白山部ジュシェリ Jušeri 地方、ネイェン Neyen 地方という九か国の兵が連合し、マンジュに対し三方から兵を差し向けてくるという知らせが入った。

 嫩コルチン部は松花江の支流の嫩江(のんこう)の下流一体を占めたモンゴル人の一部で、シベ部とグワルチャ部もおおむね嫩コルチン部に隣接して嫩江の流域に居住していた。

 

 知らせを受けたヌルハチはウリカン Urikan という者を東へ偵察に出した。

 ウリカンがヌルハチの居城フェ=アラ城から百里ほどの距離の峠に差し掛かった時、カラスの大群が飛来して行く手を阻んだ。ウリカンが後ろへ行こうとするとカラスの大群はウリカンを避けるが、前へ行こうとするとウリカンの眼の前を飛び交い、騒ぎ立てた。 

geren gaha urikan be tafulaha,,

・左枠
[満:geren gaha urikan be tafulaha,,(群れなすカラスがウリカンを阻んだ) ]
[漢:羣鴉路阻兀里堪(羣鴉、路にて兀里堪を阻む)]
[蒙:        ]

 

 ウリカンは引き返してそのことをヌルハチに告げると、ヌルハチは今度は北の渾河 Hunehe bira を探りに行かせた。

 そして、ウリカンはついに夕方になって渾河の北で敵軍を発見した。『満洲実録』には「多くの兵たちが飯を作ろうと焚いている火がまるで空の星のように見えた」と記されている。ウリカンは、食事を終えた敵軍が夜通し進撃してくるのを見届け、明け方にヌルハチに知らせをもたらした。

 ヌルハチは「イェヘの兵が今日来るか、明日来るかと聞いていたが、今来たのか。我らが夜の暗い内に兵を出発させれば国中が浮足立つ。夜が明けてから出発しよう」と語り、重臣らに使いを出して知らせたあと、なんとそのまま眠ってしまった。妻のグンダイが

「ベイレ、あなたは気を失われたのですか。びっくりしてしまったのですか。九部の国が集い、兵が進んでくるというのに、あなたはなぜ眠るのですか」

とヌルハチを起こそうとすると、ヌルハチは

「(敵を)恐れているのに眠気が来るか。もしわたしが恐ろしいのであればどうして眠ることができようか。イェヘの兵が三方を進んでくると聞いて、今日来るか明日来るかと心配だったが、今来たと聞いて私は少しほっとしたのだ。イェヘに与える罪があるのに与えず、強きにまかせておけば、天がわれに罪を与えるだろうと心配しているのだ。九部の国が集い、各々が国を守り天の恵みに安んじて生きる人々を愛さず、何の罪もない人を欺き、殺そうとして兵を差し向けたなら、天は彼らに罪を与えると思うぞ」

と言って眠ってしまった。

 ヌルハチは、目を覚ましてから、飯を食べ、一族や重臣たちを率いて堂子に参拝して天に祈りを捧げた。最初に跪いて深々と叩頭して立った。それからまた跪いて、

「上なる天の登る太陽、下なる地のよろずの神よ、わたくしヌルハチはもともとイェヘの国に何の罪もなく過ごしておりました。(イェヘが)分に安んじて生きる者を良く思わず、殺そうとして兵を差し向けたのを天もご承知でありましょう」

と祈って、叩頭して立った。それからさらにひざまずき、

「敵の頭を垂れさせたまえ、我が頭を揚げしめたまえ。我が兵が握る鞭を落とさせないようにさせたまえ。乗っている馬をつまずかせないようにさせたまえ。守り助けて行かしめたまえ」

と祈り、三回叩頭を行った。

 そしてヌルハチはいよいよ兵を率いて出発した。

 

(つづく)

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史料・参考文献
史料
『満洲実録』(『清実録』中華書局、1985~87年)
今西春秋訳『満和蒙和対訳満洲実録』刀水書房、1992年

参考文献
(中国語)
閻崇年『努爾哈赤伝』北京出版社、1983年
(日本語)
松浦茂『清の太祖 ヌルハチ』中国歴史人物選、第十一巻、白帝社、1995年