「極中道 Extreme Center」とSNSと参政党
参政党とその支持者の主張を見ていると、欧米の「極中道(エキセン、過激中道) Extreme Center」を彷彿とさせる。
「右でも左でもない」として「寛容」を称する「中道」が、実際には極右、極左と同様に他者を積極的に排除していることを批判した言葉である。
日本における「エキセン」について一番わかりやすいのは、以下の記事だろう。
朝日新聞の参考記事での社会思想史家の酒井隆史・大阪公立大教授は日本における「エキセン」をこう紹介する。
少し長くなるが引用する。
――なぜ日本ではエキセンという概念の考えが広まらないままだったのですか
日本ではエキセンがあまりにも自明に、強固に浸透しており、現在の政治システムを引いた目で見て相対化するという営みが不可能だったためではないか、と考えています。
1980年代の中曽根康弘政権時代からネオリベの政策が推し進められた結果、労働組合をはじめ、既存のシステムの外部にいた中間団体が次々と解体されていきました。既存の体制を外から相対化できる存在だった中間団体が薄くなったことで、ネオリベの枠組みが前提として規定されてしまいました。社会的な公正さよりも「客観」「中立」にこだわる日本のメディア風土にも問題があります。自らのスタンスを明確に示さないため、政治に流され続け、社会を自らの視点から相対化することができない。
いまでは中道右派と認識されている旧民社党ですら、そのルーツである戦前の社会大衆党は「三反主義」を唱えていました。反共産主義、反ファシズム、そして反資本主義です。自分たちなりに、「資本主義」とは別のシステムを目指していたのです。しかし、80年代から30年以上続いてきたエキセンの深化で、そうした土壌は失われてしまったと思います。
――エキセンが浸透することで、社会にはどのような影響があると考えますか
エキセンは社会から対話や議論の土壌を奪い、骨抜きにしてしまいます。
80年代以前の政治には、左右のイデオロギー対立の中で、異質な両者が緊張感を持って相対し、実力行使も含めてぶつかり合いつつも妥協点を模索する文化がありました。しかし、そういった両極の存在やイデオロギーのぶつかり合い自体が、「穏健」「寛容」を優先する現代の日本では拒否されます。自民党や立憲民主党の体制が「中道回帰」したと言われてはいますが、その体制もエキセンの枠組みの中でしか動きません。
――「寛容であれ」と言いつつ、声を上げる人を抑圧すると
人類学者のデビッド・グレーバーはエキセンについて、「いわゆる『穏健派』とは、世界一穏健じゃない人たちのことだ」と表現していました。「イデオロギーではない」という自己認識のもと、「ニュートラル」を称して優位性を示し、そうでないと見なした者を押さえつけるのがエキセンです。「寛容」を称することで、逆に社会公正に基づく寛容が奪われているのです。
エキセンは、ファシズムやスターリン主義に通じる概念でもあります。もともとファシズムは、革命的な見せかけを左派から奪取しつつ、既存体制にとりこぼされた人々の欲求を「今の政治の対立を超越する」という触れ込みですくい上げていきました。スターリンも、自らより「左」あるいは「右」とみなした者を次々と粛清し、官僚主義国家を構築しました。
ネットでは、社会に対して声を上げる人々を揶揄(やゆ)する「正義の暴走」という表現をよく目にします。少数派の意見に一分でも理を見いだそうとしない。こうして声を上げる人をくじく言説が、今の日本では非常に発達していると思います。
寛容を称して右も左も排除する「極中道」とは 欧米で批判も日本では 聞き手・平賀拓史(朝日新聞デジタル、有料記事) 2025年7月7日閲覧
https://digital.asahi.com/articles/ASSB82K02SB8UCVL00JM.html
この記事では参政党には直接触れていないが、参政党が支持を集める土壌を上手く説明していると思う。
参政党とその支持者の主張をネット、SNSで眺めていると、極右と極左の思想、反グローバリズムが入り交じっていて、またそれゆえに自分たちは「右でも左でもない」真ん中だと考えている。
だが、左右の異論、反対者、外国人、マイノリティなどなど、他者を排除する。
そして、彼らはその手段として「外国人はなんとなく怖そう」、「トラブルを起こしそう」、「めんどくさい連中」、「反対ばかり」、「うるさい」、「わがまま」といった言説を利用し、「穏健」、「寛容」を優先する日本の大衆の不安につけ込む形を取って、支持を集めている。
そうした意味で参政党はまさに日本社会の「極中道」に最適化した政党だし、それゆえ左右の一定の層へのアピール度が大きい。
また、近年のネット(特にSNS)の傾向とも一致している。
それゆえに支持が広がっているのだろうと思う。
しかも、昨日も書いたが、参政党の主張や彼らの憲法案「新日本憲法(構想案)」を見てみるとナチス・ドイツ、大躍進・文化大革命時代の中国、スターリン時代のソ連もかくやという内容。
国民主権と自由意志を否定し、多産を奨励するが女性を蔑視し、あらゆる問題をすべて他国や外国人、異民族のせいにして、国を閉ざし、農業と自給に過度に偏重し、反知性主義を唱え、科学を否定した非科学的な自然主義を唱える。
極右ファシズムと極左全体主義との合体というべき内容。この点でも右翼にも左翼にもアピール度抜群だろう。
だが、「日本人ファースト」などと言うが、彼らの言っていることを要約すると結局は「強者男性ファースト」。
自分も発達障害当事者というマイノリティなので、こうした勢力には不安を抱かざるを得ない。
参考記事
寛容を称して右も左も排除する「極中道」とは 欧米で批判も日本では 聞き手・平賀拓史(朝日新聞デジタル、有料記事) 2025年7月7日閲覧
https://digital.asahi.com/articles/ASSB82K02SB8UCVL00JM.html極中道(Wikipedia) 2025年7月7日閲覧
日本語版
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E4%B8%AD%E9%81%93#:~:text=%E6%A5%B5%E4%B8%AD%E9%81%93%EF%BC%88%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%8F%E3%81%A1%E3%82%85%E3%81%86,%E3%83%BB%E5%85%9A%E6%B4%BE%E3%83%BB%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E3%80%82