脱日論 その三――二転三転四分五裂

この一ヶ月半ほどの現政権のコロナウイルス対応を見ていると、やることなすこと小出しで場当たり的。
そして、つい先日「基本方針」が出てからもぶれまくってますね。

そして唐突な「要請」を立て続けに行ってますね。
それにしても「自粛の要請」という「休校の要請」といい、「要請」、「要請」でなんかモヤモヤしますねえ。
希望、志願という形を取れば、政治家は責任を取る必要がないというわけですか。
すべて現場に丸投げ!
あとはお前らでやれ、ということですか。

なんじゃそりゃ!

本陣がしっかりしてないと、勝てる戦も勝てない。

誰かさんの大好きな「国難」でしょうに。
今こそ「危機管理能力」アピールのチャンスでしょうに。
(まあご本人はアピールしてるつもりなんでしょうが)
どうしたんでしょうかね。
結局誰も責任を取りたくないし、泥もかぶりたくないんでしょうな。
所詮、現政権も与党もみんな「ええカッコしい」ですから。

いろいろ「要請」する方は楽ですが、現場は大変。
そういう時に責任を持って面倒を見るのが政治でしょうに。仮に面倒が見きれないときもせめて寄り添う姿勢は見せろよと。

えっ、「批判するだけなら誰でもできる」?
でもね、「「要請」や命令だけなら誰でもできる」んですよ。
「要請」にせよ、命令にせよ、出した側には責任が伴います。当然いろいろなフォローが必要。
ただ「やれ!」だけじゃ駄目なんですよ。

命令を出すときは簡潔明瞭に。
そして、ちゃんと方向性を示す。時には自ら手本を示す。
出した後にちゃんと実行されるようフォローとサポートも大切。
ただ「やれ!」と言うだけなら誰でもできるんですよ。

それがわからない人間にリーダーの資格はありません。

 

それにしても、こんな国で本当に五輪やるんですか。これが世界に見せたい日本なんですか。
五輪開催が決まった頃は、私も、日本が抱えていたいろいろな課題が少しはマシになると淡い期待を抱いていましたとも。いくらなんでも日本を世界に見せても恥ずかしくない国にするように政治家たちも努力するだろうと。
とんでもない買いかぶりでした。

ますますこの国とこの社会に愛想が尽きてきました。

脱日論 その四――あと2060日、ふるさとは遠きにありて思ふもの