東京陵(遼陽)写真―チュエン(褚英)墓―2005年5月
ヌルハチの長子チュエン(Cuyeng,褚英)の墓は東京陵のシュルガチ墓の南隣に位置している。
東京陵配置(google衛星写真より作成 2008年6月12日アクセス)
シュルガチ墓(北)、チュエン墓(南)(一枚目の衛星写真の黄色の楕円部分を拡大)
チュエン(1580~1615)は、ヌルハチの長男。多くの戦いに活躍した知勇兼備の将で、ヌルハチからも後継者に指名され、万暦四十年(1612)に権力の一部を移譲された。だが、そのことがチュエンと、弟たちそして五大臣と呼ばれるヌルハチ子飼いの重臣たちとの対立・抗争を招き、ヌルハチもチュエンを信用しなくなった。憤ったチュエンは翌年正月にヌルハチや弟たちを呪詛するという事件を起こし、ヌルハチはチュエンを幽閉、二年後の万暦四十三年(1615)八月に処刑している。
チュエン墓は、写真3枚目を見てもわかるとおり、方形の墓域の中には墓碑も碑亭も存在せず、ただ墳墓のみがある非常に寂しいものとなっている。
シュルガチもチュエンも共にヌルハチの不興を買い、失脚そして死亡しているが、シュルガチは死後名誉回復されて荘親王に封じられたのに対し、チュエンの名誉は回復されることはなかった。
王朝の始祖の長子の墓としてはあまりにも寂しい。
以下の写真はいずれも2005年5月撮影。
チュエンについての主な参考文献は以下の通り。
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参考文献
閻崇年『努爾哈赤伝』北京出版社 1983
松浦茂『清の太祖 ヌルハチ』中国歴史人物選 第十一巻 白帝社 1995
鴛淵一「褚英の死に就いて」(『史林』第十八巻第二号 1933)