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欽定繙譯五經四書

提要

臣謹案、乾隆二十年,初欽定繙譯《四書》,續繙譯《易》《書》《詩》三經,續又繙譯《春秋》、《禮記》二經,至乾隆四十七年,而聖賢典籍釋以國書者,燦然備焉。案鄭樵《通志‧七音略》曰:「宣尼之書,自中國而東則朝鮮,西則涼夏,南則交阯,北則朔易,皆吾故封也。故封之外,其書不通。何瞿曇之書能入諸夏,而宣尼之書不能至跋提河,聲音之道有障礙耳」其良是,然文字之聲音,越數郡而或不同,文字之義理,則縱而引之,千古上下無所異;橫而推之,四海外無所異;苟能宣其意旨,通以語言,自有契若符節者,又何聲音之能障礙乎哉。考《隋書》魏氏遷洛,未達華語,孝文帝命侯伏侯可悉陵以其言譯《孝經》之旨,教於國人,謂之《國語孝經》。《經籍志》載其書作一卷,是古人已有行之者。特其學其識均未窺六藝之閫奧,故能譯者僅文句淺顯之《孝經》,而諸經則未之及耳。我國家肇興東土,刱作十二字頭,貫一切音;復御定《清文鑒》,聯字成語,括一切義,精微巧妙,實小學家所未有。故六書之形、聲、訓詁、皆可比類以通之。而列聖以來,表章經學,天下從風,莫不研究微言,講求古義,尤非前代之所及。故先譯《四書》示初學之津梁,至於《五經》,《易》則略象數之,示其吉凶;《書》則疏佶屈之詞,歸於顯易;《詩》則曲其詠嘆,而句外之寄託可想;《春秋》則細核其異同,而一字之勸懲畢見;《禮記》則名物度數,考訂必詳;精理名言,推求必當,尤足破講家之聚訟。蓋先儒之詁經,多株守其文,故拘泥而鮮通。此編之詁經,則疏通其意,故明白而無誤。不立箋、傳之名,不用註、疏之體,而脣吻輕重之間,自然契刪述之微旨,厥有由矣。學者守是一編,或因經義以通國書,而同文之聖化被於四方;或因國書以通經義,而明道之遺編彰於萬世。其有裨於文教,均為至大,雖堯帝之文章,尼山之刪定;又何以加於茲哉!

乾隆五十四年正月臣恭校上 

 

總纂官 臣 紀昀 臣 陸錫熊 臣 孫士毅

總校官 臣 陸費[土]

 

 

(読み下し)

【欽定繙譯五經四書】

提要

 

臣謹んで案ずるに、乾隆二十年,初め欽定して『四書』を繙譯(翻訳)し,續きて『易』『書』『詩』三經を繙譯し,續きて又『春秋』、『禮記』二經を繙譯し,乾隆四十七年に至りて,聖賢典籍の釋すに國書(満洲語)を以てする者,燦然として備はりたり。

 

鄭樵『通志‧七音略』を案ずるに、曰く:「宣尼(孔子)の書,中國自(よ)りして東は則ち朝鮮,西は則ち涼夏,南は則ち交阯,北は則はち朔易,皆吾が故封なり。故に封の外,其書通ぜず。何ぞ瞿曇(くどん 仏教)の書能く諸夏に入らんや,而して宣尼の書跋提河(ヒランヤバーディ川、釈迦入滅の地クシナガラの川、ここではインドを指す)に至る能はざるは,聲音の道に障礙有るのみ」其の良にして是なり。然るに文字の聲音,數郡を越えて或いは同じからず,文字の義理,則ち縱して之を引くに,千古上下異なる所無し;橫して之を推すに,四海内外異なる所無し;苟しくも能く其の意旨を宣べ,通ずるに語言を以てし,自ら契すること符節の若(ごと)き者有らば,又た何ぞ聲音の能く障礙せんや。

 

『隋書』を考ふるに、魏氏洛に遷り,未だ華語に達せず,孝文帝侯伏侯、可悉陵に命じ其の言を以て『孝經』の旨を譯し,國人に教へ,之を『國語孝經』と謂ふ。『經籍志』其書を載せて一卷に作る,是れ古人已に之を行ふ者有り。特(た)だ其の學其の識均しく未六藝の閫奧を窺はず,故に能く譯す者は僅かに文句淺顯なる『孝經』のみ,而して諸經は則ち未だ之に及ばざるのみ。

 

我國家肇(はじ)め東土に興り,刱(はじ)めて十二字頭を作り,一切の音を貫く。復た『清文鑒』を御定し,字を聯ねて語を成し,一切の義を括するは,精微巧妙にして,實に小學家の未だ有らざる所なり。

 

故に六書の形、聲、訓詁、皆比類して以て之を通ず可し。而して列聖以來,經學を表章し,天下風に從ひ,微言を研究し,古義を講求せざるは莫し,尤も前代の及ぶ所に非ず。故に先づ『四書』を譯し初學の津梁を示し,『五經』に至りては,『易』は則ち象數之迹を略し,其の吉凶を示す。『書』は則ち佶屈の詞を疏し,顯易に歸す。『詩』は則ち其の詠嘆を曲して、而して句外之寄託想ふ可し。『春秋』は則ち細かに其の異同を核し,而して一字の勸懲畢(ことごと)く見(あら)はる。『禮記』は則ち名物度數,考訂すること必ず詳かにして、精理名言,推求すること必ず當なりて、尤も講家の聚訟(じゅしょう)を破るに足る。蓋し先儒の詁經,多く其の文を株守し,故に拘泥して通ずること鮮し。此の編の詁經(こけい)は,則ち其の意を疎通し、故に明白にして誤り無し。箋、傳の名を立てず,註、疏の體を用ひず,而して輕重の間に脣吻し,自然に刪述の微旨に契すること,厥(そ)れ由有るなり。學者是れ一編を守り,或は經義に因りて以て國書に通ぜば,而して同文の聖化四方に被り、或は國書に因りて以て通經義に通ぜば,而して明道の遺編萬世に彰はる。其の文教に裨有ること,均しく至大為り,堯帝の文章,尼山(孔子の意)の刪定と雖も、又た何を以てか茲(こ)れに加へんや。

 

乾隆五十四年正月臣恭みて校し上(のぼ)す 

 

總纂官 臣 紀昀 臣 陸錫熊 臣 孫士毅

總校官 臣 陸費[土]

 

(参考サイト)

『寒泉』四庫總目  經部