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文徳坊(満文:Bithei erdemui eldembure pailu) 東側

武功坊(満文:Coohai erdemui mukdembure pailu) 西側

  

 瀋陽故宮の大清門外東西に建てられた牌坊(牌楼)。

 文徳坊と武功坊は瀋陽故宮の正門である大清門の東西に建つ牌坊で、東が文徳坊、西が武功坊となっている。文徳坊と武功坊はそれぞれ崇徳二年(1637)に建てられ、文字通り清朝の「文徳」と「武功」を讃えたものである。

瀋陽故宮配置図

瀋陽故宮配置図(google衛星写真を元に作成、2008年4月)

文徳坊(2012年8月撮影)

文徳坊(2012年8月撮影)

武功坊(2012年8月撮影)

武功坊(2012年8月撮影)

  牌坊とは忠孝貞節の人物や功績のあった人物を讃えるために建てられた門のような建築物のことで、中国や海外の中華街で非常によく見られる。

 牌坊は牌楼とも呼ばれ、厳密には屋根のついているものが牌楼、屋根のついていないものが牌坊とされるが、実際にはほぼ同じ意味で使われている。

 牌坊の起源は、中国古代都市の里坊の門であった。古代の都市は城壁に囲まれ、さらに都市内部も碁盤の目状に区切られており、この区画を里坊という。里坊は壁によって囲まれ、門を通じて出入りするようになっており、夜間の通行は厳重に取り締まられた。

 この里坊の門に、功績のあった人物とその事跡を掲示したのが牌坊の由来とされる。

 牌坊は、宋代以降に里坊制がすたれたことにより門としての意味は失われ、単なるシンボルとしての建築物となり、形状も次第に優美になっていった。

 文徳坊と武功坊にはそれぞれ満洲、モンゴル、漢語の三言語によって書かれた扁額が掲げられている。それぞれ中段と左端が漢文、上段と左端の小さな字が満文、下段と右端の小さな字がモンゴル文となっている。

文徳坊扁額(2012年8月撮影)

文徳坊扁額(2012年8月撮影)

 

文徳坊の額の漢文・満文の内容は次の通り。

漢文:文徳坊

満文:bithei erdemui eldembure pailu

漢文:崇德二年孟春吉日立

満文:wesihun erdemunggei jai aniya niyengniyeri biyai sain inenggi  ilibuha,, 

武功坊扁額(2012年8月撮影)

武功坊扁額(2012年8月撮影)

武功坊の額の漢文・満文の内容は次の通り。

漢文:武功坊

満文:coohai erdemui mukdembure pailu 

漢文:崇德二年孟春吉日立

満文:wesihun erdemunggei jai aniya niyengniyeri biyai sain inenggi  ilibuha,, 

 面白いのは、「文徳」と「武功」の「徳」と「功」が満洲語では両方とも「erdemu」になっているところ。
 手元の辞書を引いてみると、erdemu は、徳、才、才能など、非常に広い意味を持った言葉らしい。

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参考文献 サイト(順不同)

佟悦編著『瀋陽故宮』清文化叢書、一宮三陵系列、瀋陽出版社、2004年
羅麗欣:文・佟福貴:図『瀋陽故宮』遼寧世界遺産画廊、瀋陽出版社、2005
劉厚生等編『簡明満漢辞典』河南大学出版社、1988年

『ウィキペディア(Wikipedia)』 牌坊 (2008年6月10日アクセス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%8C%E5%9D%8A