2024年4月15日 月曜日 晴れ時々くもり 清代のことなど

月曜から寝坊して朝からバタバタしてしまった。

先週仕上げた原稿を最終確認して昼前に納品。

昼頃に通院。それから薬局で処方薬を購入して帰途へ。
ココイチでカレーを食べて、本屋に寄って、最近出版された山本英史『清代知識人が語る官僚人生』(東方選書62、東方書店、2024年)を購入して帰宅。
本書は役人ハンドブック(官箴書)『福恵全書』の著者である黄六鴻が自ら清代の官僚について語るという形式を取ったユニークな本。
読むのが楽しみ。

山本英史『清代知識人が語る官僚人生』(東方選書62、東方書店、2024年)

午後はカレーを食べたせいか眠く、仕事があまりはかどらなかった。

夕食は昨日食べきれなかったプデチゲの残りを食べた。

20時半から、中国の友人が教えてくれた「 天一文化論壇」のライブ動画番組「康乾盛世:名副其実還是徒有虚名」を観る。
https://mp.weixin.qq.com/s/rGv0qy7cAYQp6zLgsN9izg

内容は李暁鵬『巨変与突囲――碰撞中的清帝国:1644—1840』(天地出版社、2024年2月)の著者自身による紹介。
なお、李氏は清代史の研究者ではなく、経済学者であるようだ。CNKIで論文を検索してみたが、李氏による明清代の研究論文は見当たらなかった。

内容は一面的で、私としてはとても賛同できない。
李氏の主張を要約すると、明代中国の持つ可能性、とりわけ江南の発展が明清交代により破壊され、それが中国が近代において西欧に遅れを取った原因であり、「康乾盛世」も虚構であるというもの。
近代中国が遅れを取った原因はそこまで単純ではなく、世界のいろいろな研究者が論じているが、本日の論者はそれを単純に清朝(満洲人)による虐殺・破壊に帰している。
清代における中国、とりわけ江南の発展を無視しているような気がする。まさか明清交代時の破壊がボディブローのように後から中国に効き始めたというのだろうか。

李氏は明末の主要な輸出品が江南の紡績品であり、清代の主要な輸出品が茶葉という一次産品であることをことさらに取り上げてあたかも技術の後退であるかのように唱えているが、これも単純であろう。
江南の紡績工業は清代にも大いに繁栄していた。とりわけ江南の綿織物は清代にも盛んに輸出されて西欧からも「ナンキン Nankeens」として知られていたし、インド綿布が中国に輸出されるようになってからも一定の地位を保っていた。

また、李氏は明代中国を訪れた宣教師が中国人の「安居楽業」を褒め、清代乾隆年間に中国を訪れたマカートニーが中国人の「民不聊生」と中国の欠点を批判していたことを取り上げ、明代の盛世を強調しているが、これもいかがなものかと思った。両者の本国への報告が持つ性格をまったく無視しているのではと思えた。
イエズス会宣教師が本国への報告などで布教先の国を褒めるのは決して珍しいことではない。なぜならその方が支援者に布教の有望さを印象づけられ、支援を得やすいからだ。清代の宣教師の報告にも清朝の皇帝や中国を持ち上げているものは珍しくない。
外交官マカートニーの報告は、それとはまったく異なる性格のもので、別に清朝を持ち上げる必要がないものだ。

さらに、李氏は満洲人の野蛮さと硬直性を過度に強調しており、まるで中国が遅れを取ったのは満洲人が悪いと言わんばかりである。
このような歴史観は時代遅れであり、後退であるといってよい。
(満洲人の統治者が単に「野蛮」で「硬直的」であるなら、どうしてあれほど広い領域と多様な民族・集団をあれほど長期間にわたり統治できたというのか?!)

このような古色蒼然たる歴史観は近年にインターネットを中心に復活し始めており、こうした動きを中国のこれまでの公式ナショナリズムとは異なる漢族ナショナリズムの復活の表れとみるのはうがち過ぎだろうか。

以上の点につき、李氏の著書にはもっと違った面からの説明があるのかもしれないが、本日の動画番組での李氏の主張を聞く限りでは概ねこのような内容だった。李氏の主張はまず観点のみが先行し、証明が後回しになっているのではないかと思えた。

ちょっとこの人の本を買う気にはなれないかな。
まとまっていないが感想は以上の通り。

 

22時頃から、別の中国人の友人とビデオチャット。
たわいのない、くだらない話題で談笑した。
変な論者の変な動画より、やっぱりこっちの方がいいな。