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さて、瀋陽に到着した時の話を。

2004年4月2日、瀋陽空港に到着すると、遼寧大学の方が車で迎えに来ていた。
その日は4月だったが、前夜に季節外れの大雪が降り、街は雪景色だった。

私は一応正装の背広姿だったので、私を迎えた日本人留学生たちはびっくりしていた。
とりあえず、遼寧大学の古い留学生宿舎に入居。94年に私が泊まった宿舎と同じ建物だった。予定ではもう新しい留学生寮が出来ていると聞いていたのだが。

留学生は韓国人留学生が6~7割、2割が日本人、残りがロシア、旧ソ連、欧米諸国というところだった。

 

とりあえず日本人留学生たちに挨拶し、前もって発送しておいた荷物を受け取りに行った。

ちょうど週末だったので、翌日は日本人留学生たちと瀋陽の街をブラブラした。

月曜日頃日本語科で日本語を担任する日本人のS先生に挨拶に行き、日本語科の授業で学生たちに紹介していただけることになった。

日本語科の授業では、新しく来た留学生が次々と自己紹介をし、私の番が回ってきた。

 

まず日本語と中国語で自己紹介をし、自分が満洲語と清朝史に興味があると言ったあと、黒板に自分の名前を満洲文字でサラサラっと書いた。あと、大阪人だというのを強調するため、「六甲おろし」も歌った(今思えばアホですな)。

 

授業が終わった後、興味を持って私の前に来た学生さんたちは満洲族やモンゴル族が多かった。

(モンゴル文字と満洲文字は基本的に同じ)

 

そのうちの一人がモンゴル族の男子学生、もう一人が満洲族の女子学生で、以後この二人と日本語、中国語を教えあうことになった。その後、日本語を学ぶその他の学生、さらには日本語を学ぶ警察官(!)の方とも知り合いになり、言葉を教えあったり、中国の文化や社会について色々教えていただいたり、生活面でもいろいろ助けていただいた。

彼らがいなければ、瀋陽での留学生活は全く成り立たなかったといっていい。

特に、最初にあげたモンゴル族の友人とは現在に至るまで付き合いが続いており、まさに「アンダ」(モンゴル語、満洲語で大親友)。

 

瀋陽では瀋陽故宮をはじめとする清朝の史跡を見学。
ちょうど清朝の関外三陵、瀋陽故宮が世界遺産に認定された時期でもあり、瀋陽は清朝の話題でもちきりだった。

 

2004年夏、西安、漢中、上海、杭州を旅行。
西安郊外の五丈原と漢中の定軍山の武侯祠にも参拝。あの羽扇も買ってきた。いまでも時々羽扇をパタパタあおいで諸葛亮気分に浸っては、嫁に呆れられている。

秋には大連マラソンに参加し、42.195km完走。

授業の合間に日本語教師のバイトも始めた。このバイトは翌年9月まで続いた。
日本語を教える難しさと、日本語の奥深さを思い知らされた。いい経験をさせてもらった。

 

充実した一年だった。

 

2005年春節は先程のモンゴル族の友人の実家へ。
毎日飲まされまくってエライ目に。モンゴル族は酒をガンガン飲むし、料理やお菓子も脂っこいモノが多い。
ユーラシア大陸を征服した秘密はどうやらこれらしい。

友人とその両親、親戚に「蒙古襲来絵詞」見せたらけっこう喜んでたなあ(苦笑)

 

4,5月には例の反日デモもあったが、友人たちに守ってもらったり、世話を焼いてもらったので、別にどうってことはなかった。あと、友人たちからいろいろ裏情報も流してもらったので、報道管制の中でも特に不自由はしなかった(友人たちに迷惑が及ぶといけないので詳しくは書けないが)。

瀋陽人、東北人の名誉のため、この点は特に強調しておきたい。

 

2005年5月から今のブログを開始。
中国語の簡体字が使えるという理由で選択。
中国語の勉強を兼ねて中国語で日記を書いたおかげで、ネット上で多くの方と知り合いになれた。
またブログに満洲語や清朝史の記事を載せたおかげで、清朝史・満洲語の研究者の方や満洲族・シベ族の方とも知り合えた。

 

8月には新彊ウイグル自治区へ旅行。

現地ではいろいろな場所を観光し、ウイグル、漢、シベ、カザフ各民族のみなさんに親切にしていただいた。
特にイリ地方、グルジャ(伊寧)のカザフ族ガイドは親切丁寧な案内ぶりで感心した。

(それだけに今年7月の事件は悲しかったが)

 

シベ族の集住するチャブチャルシベ自治県(察布查尔锡伯自治县)では、生きた満洲語・シベ語に接することが出来、感動した。シベ族は清代に守備隊として瀋陽付近からはるばる新彊へ派遣され、今でも清代の満洲語を保持している。

自分が習った清代の満洲語がシベ族に通じた時の感動は忘れられない!

 

2005年の秋からは就職活動。

大連のとある企業への就職が内定。

 

2006年春から大連へ。

トラック一台を1500元で雇い大連へ引越し。

なにせ瀋陽で本を買いまくったので、荷物が増えてしまった。

 

そして、今の嫁さんとの出会い。

それについては、また次回。