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楠木賢道『清初対モンゴル政策史の研究 』汲古叢書82、汲古書院、2009年12月

 

 昨年8月に「読書メーター」に掲載した感想に加筆修正して掲載します。

 

 本書は、主にホンタイジ時代を中心とする清初の対モンゴル政策の検討を通じ、清朝(マンジュ国・後金)という国家の政権構想、在り方を論じている。
 著者は、ホンタイジの外交・婚姻によるモンゴル諸部取り込みの背景に、自国の勢力を増大させようとするマンジュ国ハンとしての姿、モンゴル諸部の支援により八旗の権力争いを勝ち抜こうとする両黄旗王としての姿の両方を見出している。

 

 個人的に興味深いのは、ホンタイジが清朝の「外藩」であると認識するモンゴル諸部に対する出兵要請・兵力動員の機会を利用し、彼らに八旗と同一の行動を取らせ、同一の軍規を守らせ、これまでのモンゴル諸部・諸王の支配権を飛び越えて直接違反者への処罰を行うことで、清朝による法支配を浸透させたという指摘。
 このあたりは日本の戦国大名・江戸幕府のやり方にも相通じる所があり面白い。

 

 特に、第4章での、天聡五年(1631)の大凌河攻城戦の各軍団の布陣・編制母体・来歴を元にした、清朝政権の政権構想・構造、八旗とモンゴル諸部との関係の分析は出色。
 著者は、ホンタイジが八旗のうち直轄の両黄旗を率いて大凌河城包囲陣の中心に位置し、宗室諸王が他の六旗を率いて取り囲み、さらにその外縁をモンゴル諸王の軍が取り囲むという陣形から、当時清朝政権の政権構想・構造、八旗とモンゴル諸部との関係を明らかにし、それらが後の清朝政権にも受け継がれていったことを指摘している。
 その上で、著者は、清朝が八旗とモンゴル諸部を「一つの構造を構成する連続した部分」であると認識していたとしている。

 天聡五年(1631)の大凌河攻城戦は、紅夷砲を装備した清の漢人砲兵部隊(後の八旗漢軍)が初めて本格投入された戦いで、軍事史・科学技術史分野では早くから注目されてきたが、著者の分析により政治史的意義の大きさも明らかになったと言える。

 また、第六章、第七章は、清朝成立以前から康煕年間までのシベの動向、ホルチン部の支配下にあったシベがやがて清朝の八旗へと移籍する過程の論考。
 ヌルハチ時代以降のシベ部の動向、シベをめぐるホルチン部と清朝の動向、ロシアの東進及びジューンガル部の侵攻に備えたシベの清朝軍事力・後方支援体制への組み込み、そして最終的にホルチン部から清朝の八旗へと移籍する過程には非常に興味深いものがある。

 

 以上、本書では興味深い史実や論点が多く取り上げられており、非常に面白く読めた。清朝の八旗制度と対藩部(内陸アジア諸民族)政策が有機的にリンクしていたことは最近注目を集めているが、本書からはそのルーツを知ることができる。

 

 

 本書のより詳細な書評につきましては、以下のものがありますので、ご参照ください。

岡洋樹「<書評> 楠木賢道著『清初對モンゴル政策史の研究』」
「東洋史研究」69(4): p.679-688、2011年

→京都大学学術情報リポジトリ Kyoto University Research Information Repository:

http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/188390