『岩波講座世界歴史12 東アジアと東南アジアの近世 一五~一八世紀』

【責任編集】弘末雅士・吉澤誠一郎、【編集協力】上田信『岩波講座世界歴史12 東アジアと東南アジアの近世 一五~一八世紀』岩波書店、2022年

近世の東アジア・東南アジア各地域の交流の深化、各地域の共時的な発展について論じている。
本書は本『岩波講座世界歴史』シリーズと同じく、〈展望〉・〈問題群〉・〈焦点〉の三部構成となっており、さらに論考の間には〈コラム〉も挟み込まれている。

〈展望〉には以下の二本の論考がある。
本書冒頭の上田信「東ユーラシア圏域の史的展開」がある。本論考は近世東アジア・東南アジア史のわかりやすい概説で、これを読んでから本書のさまざまな論考に入るしくみになっている。

弘末雅士「近世東南アジア社会の展開」を読んでみると、東南アジア近世史もなかなかにダイナミックでめまぐるしい。自分は東南アジア史には疎いので非常に勉強になった。

これら両論考は、本書で扱う近世東アジア・東南アジア史の優れた概説であり、本書で取り扱う内容全体をまさに展望するものとなっている。

〈問題群〉には以下の二本の論考がある。
中島楽章「大交易時代のアジアの海域世界」も14世紀後半から17世紀前半の海域アジア史(主に東アジア海域)についての優れた概説だと思う。個人的に興味深かったのは中国、東アジア海域への銀の流入と、貿易利潤の集積と西洋式火器の導入による新興商業-軍事国家の成長である。著者はそうした政権として織豊政権とビルマのタウングー朝を取り上げ、東アジア海域の東西で共時的に勃興し解体した新興商業-軍事国家だったと指摘する。
確かに、織豊政権(豊臣政権)とタウングー朝はどちらもほぼ同時代に貿易・商業利潤を集積し、西洋式火器の導入により国家統一を成し遂げた新興商業-軍事国家であり、かつ明と長期にわたり戦争を行うなど、非常に興味深い共通性・共時性を有していると思う。

岡本隆司「清朝をめぐる国際関係」では、「国際関係」は近代の国際関係とは異なる括弧付きの「国際関係」であるとしたうえで、「朝貢」・「直省」・「互市」・「藩部」をキーワードに清朝の「国際関係」を通観。清朝の秩序の「朝貢」・「直省」・「互市」・「藩部」からのとらえ方について、「ただ従前の研究・論著では、そうした各々の立場に立脚し、そこからしか論じていないにもかかわらず、あたかも全体を装ってきた、あるいはそう見えていたのではなかろうか。その点をあらかじめわきまえているかどうか、そこを明確にするためにも、いよいよ大所高所から俯瞰した像を示すことが重要だと考える。」(p126-127)とする。これは、いわゆる「清朝史」的アプローチと「清代史」的アプローチの双方について言及しているのかなという気がする。 

 

〈焦点〉には、以下の八本の論考がある。
岩井茂樹「明朝の中央政治と地域社会」が、明代初期の中央の皇帝独裁政治と地域社会の様相について紹介している。独裁天子と朱子学徒により描かれた理想の共同社会としての里甲制が、民衆に拒否されて分解していく過程が興味深い。理念と現実のギャップが鮮明に浮かび上がる。

大木康「明代中国における文化の大衆化」は「大衆化」という切り口から明代の文化状況を概観。エリートの大衆化、文人趣味の大衆化、唐寅・陳継儒・馮夢龍ら大衆を背景とした知識人の登場、出版文化・通俗文芸の隆盛を概観。そして「民衆の発見」すなわち庶民の価値の発見がもたらされたとする。

杉山清彦「マンジュ大清国の支配構造」は、マンジュ的・中央ユーラシア的性格を重視する立場から、大清国(清朝)の支配構造とその特質を明らかに。ジュシェン(女真)=マンジュ(満洲)人社会のなりたち、八旗制の構造・特質を概説し、そこからさらに帝国としての支配構造について論じる。特に、八旗制の構造・特質については、グサ-ニル制と満洲・蒙古・漢軍・包衣(ボーイ)の区分、旗王制・八分体制・左右翼制、全体構造など、これまでの研究のエッセンスがうまくまとまっているので必読。

また、自分がとりわけ注目したのは、「マンジュ人・旗人と「儒教化・士人化」」という一節での指摘。マンジュ人の漢文化受容と母語の衰退といった現象はこれまで「漢化」といわれてきた。しかし、近年そのような理解は二つの点から修正が迫られているという。
一つは、すべてのマンジュ人が民族的特質を喪ったわけでも、一人のマンジュ人がすべての面において喪ったわけでもないという点。
もう一つは漢字文化・儒教文化の浸透についての新しい解釈、すなわち支配層におけるハイカルチャーの選択的受容としての「儒教化」・「士人化」と捉えられるという点。著者は、東アジアで広く見られた統治階層の儒教規範受容すなわち「儒教化」、多様な出自の外来知識層・統治エリートが自らの言語や習俗・自己認識を保持しながら儒学を修得して士人層の加わっていく「士人化」という観点を援用している。

「これらの観点を援用するならば、マンジュ人の漢語習得や儒教規範受容は、漢文化への埋没と文化的境界の喪失を意味する「漢化」ではなく、支配層におけるハイカルチャーの選択的受容としての「儒教化」や「士人化」と評することができようし、そのように捉えれば、マンジュ固有の習俗・規範の維持と両立させて説明できるように思われる。」(p.195)。

この二点については自分も同感である。清朝は、旗人が「漢習」・「漢人習気」(漢人の習慣・気風)に染まり、本来の美徳である淳朴さを失い、国語騎射が廃れ、文弱・奢侈に流れることを常に厳しく戒めていた。だが、その一方で漢人伝統の政治思想である儒教については、旗人に対して学習を奨励し、皇帝自身も積極的に学んでいる。近年の諸研究が指摘するように、「国語騎射」に象徴されるマンジュ人固有の習俗・規範の維持と漢語習得や儒教規範受容は決して矛盾するものではないということだろう。

柳澤明「清朝時代のモンゴル社会」では、清朝時代のモンゴル系諸集団の構成とそれぞれの社会について、これまでの研究を踏まえて概説している。漠南モンゴル諸集団、八旗モンゴルと外藩モンゴル、漠北モンゴル(ハルハ)、ブリャート、ジューンガルと西モンゴル諸集団、チャハルなどの諸集団の来歴を述べ、その上で清朝時代モンゴルの「盟旗制」の概要、旗の内部構造、司法、都市の形成、文字文化、チベット仏教の浸透、漢人の進出と農業の普及、清帝国の動揺とモンゴルなどにつき、わかりやすく概説している。さらに、近年の研究に基づき、清朝による「盟旗制」、『大清会典』、『理藩院則例』などの諸制度が必ずしも厳密に、文字通りに機能したとはいえず、制度と実態の乖離が存在していたことも紹介されている。

岡田雅志「近世後期の大陸部東南アジア」は、近世後期(17~18世紀)の東南アジアの政治・社会・経済情勢について概観している。清朝の経済的存在感、華人の活躍、山地民と山地の開発、火器の普及による政治統合の進展と山地民の動きなど盛りだくさんの内容である。中国側からの火器普及とヨーロッパ側からの火器普及の両方が東南アジアに影響を与えているのが興味深い。ビルマではヨーロッパ火器を配備したタウングー朝が勢力を伸ばし、江戸幕府による銅流出制限政策(長崎新令)が雲南など山地での鉱山開発を呼び起こす。

六反田豊「朝鮮時代の国家財政と経済変動」では、まず朝鮮王朝の時代区分論の変遷を紹介している。近年、これまでの壬辰戦争(文禄・慶長の役)を境とする前後期二分法から、新たに15~17世紀に「中期」を設定する考え方が出てきているとのこと。これは、従来の二分法で画期とされた壬辰戦争の影響を重視せず、むしろその前後の時代の連続性に注目する立場である。次に、朝鮮王朝の経済体制、田税制度と土地制度、貢納制度、賦役制度、私的土地所有、国家財政と経済について論じている。朝鮮王朝史とりわけ財政・経済分野については知らないことばかりなので大いに参考になった。

松井洋子「近世日本の対外関係と世界観」では、織豊時代から徳川時代までの日本の対外関係と世界観について通観。国際関係の選別と再編を経た徳川時代の「四つの口」の形成、そして18世紀には清と日本が互いに直接関係を持たないことで「すみわける」状態へと展開していったことが述べられている。

太田淳「グローバル貿易と東南アジア海域世界の「海賊」」では、近世東南アジア海域世界での貿易と現地の海賊=商業軍事集団の動向について語られる。イギリスとオランダの当局が現地の海賊と同盟したり、公的な地位を与えたりしているのが興味深い。「植民地支配は異質な「近代」なるものを被支配者に押しつけるのではなく、現地のシステムを自らに取り入れながら始まったのである。」(p.304)。

 

〈コラム〉は以下の五本がある。

宮田絵津子「太平洋を渡った中国陶磁器」では、ポルトガル・スペインによる東南アジアおよび東アジアの貿易ネットワークへの進出、スペインのガレオン貿易による中国陶磁器のヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)への輸出、中国陶磁器の流通範囲の拡大、現在のメキシコシティで景徳鎮、福建の陶磁器など多くの中国陶磁器が出土していることなどが紹介されている。

新居洋子「西欧に伝達された康熙帝の死」は、康熙帝の遺詔の5種類の欧文訳について概要を紹介。各種の翻訳からは、西洋人の関心の焦点、典礼論争などを見いだせるらしい。

岸本美緒「明清時代の家族と法」では、明清時代中国の家族制度、法制度を概説。長子相続が一般的な近世日本とは異なり、明清中国では均分相続が広く行われていたこと、クジ引きによる均分相続制度があったというのが興味深い。一家の財産を前もって人数分に均分して、その公平性を全員で確認した上で、一人一人がクジを引いて当たった分の財産を取るという手続。その証書である「鬮書(きゅうしょ)」は現在にも多く遺されているとのこと。
近世日本の長子相続とは異なり、子孫は末広がりに「家」を発展させていくことが求められた。川の支流や樹木の枝のように、子孫には祖先から男系を通じて受け継がれた同じ生命が流れているという感覚が一族としての一体感を支え、「同じ生命」という感覚は往々にして「気」という語で表されたという。
また、国家の法律も、宗族が国家に対して自立的な集団となることを警戒しつつも、犯罪の処罰に際して加害者と被害者との間の尊卑・親疎の関係に応じた量刑の細かい差などを設けることを通じて、この秩序の強化を目指したという。

斎藤照子「近世ビルマの借金証文と訴訟文書」では、借金証文と訴訟文書から近世ビルマの人々のソーシャル・ヒストリーとファミリー・ヒストリーが見えてくることが紹介されている。また、庶民たちにとって民事裁判は敷居が低く、庶民たちが積極的に裁判で戦っていたことにも触れている。

渡辺美季「琉球国から沖縄県へ」は、日本・明清との国際関係を中心とした近世琉球史の手短な概説。本コラムで指摘されるように、日清二秩序の「境界」を主体的に運営・維持していた琉球という視点は重要であろう。

 

全体を読んだ感想として、15世紀から18世紀の近世東アジアと東南アジアでは、各地域のヒト・モノ・情報の交流が活発化し、さらにグローバルな情勢もからみ、各地域の一見独自に見える発展の中にも他地域の動向の影響が色濃く見られることがわかった。非常に面白かった。

特に面白かったのは、杉山清彦「マンジュ大清国の支配構造」。マンジュ的・中央ユーラシア的性格を重視する立場から、大清国(清朝)の支配構造とその特質を明らかにしている。ジュシェン(女真)=マンジュ(満洲)人社会のなりたち、八旗制の構造・特質を概説し、そこからさらに帝国としての支配構造について論じる。

また、朝鮮王朝史、東南アジア史、海域アジア史については知らなかったことが多く、大いに勉強になった。

本書の記述には、近年の研究、特に東ユーラシア史、東南アジア史、海域アジア史研究の大きな進展が反映されている。
本書を読めば、歴史はやはり「一国史」の集積では成立しないことがよくわかる。

(本書評は「読書メーター」に掲載した内容に修正・加筆を行ったものです)