笠原十九司『南京事件 新版』
笠原十九司『南京事件 新版』(岩波新書、岩波書店、2025年)
日本軍側の史料、将兵の日記・記録、『南京戦史』、中国側の史料と証言、外国人による報道・証言などから事件の全体像を明らかにする。
近年の歴史否認主義に対する反証も随所で行われている。
第9章では南京事件の全体像についてのまとめが行われ、南京事件の期間的範囲(南京戦区(南京特別市、すなわち南京城内および近郊農村区域を含む))・地理的範囲(広義の開始を海軍航空隊の1937年8月15日の南京渡洋爆撃とし、狭義の開始を陸軍中支那方面軍が南京戦区に突入した12月4日前後とする)を定義した上で、残虐行為・不法行為についても分類区分していく。その上で犠牲者総数につき、さまざまな統計資料を検討し、概数としては「十数万以上、それも二〇万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」としている。
著者が強く主張するように概数であれ、大規模な残虐行為・不法行為すなわち虐殺が行われたことは間違いのない史実であり、人数が正確に割り出せないからといって虐殺事件の存在自体を否定することは大きな誤りであろう。
司令官らの野心の下、現地軍が独断専行し、兵站・法務体制を整えず、指揮統制が緩み、無責任体制が横行する。やがて天皇も現地軍の独断専行を追認する。
上海で戦い、そのまま南京へと侵攻し、疲弊し補給に事欠く将兵たちがその憤懣を無抵抗の捕虜に向け、さらに「現地調達」という名の略奪と暴行、強姦などの蛮行が繰り広げられる。
戦時国際法についての教育もされておらず、将兵たちにも犯罪意識はない。
それらは日本軍の軍刑法ですら禁止されているはずなのだが、法務体制が整っていないので、それを取り締まる手段もない。
国民は戦況記事を消費し、戦争ゲームでも観戦するかのように日本軍の進撃ぶりに喝采をあげ、戦捷に熱狂する。
やがてその中でなにもかもがうやむやにされていく。
なんというか、日本という国の醜い面を濃縮して煮詰めたような史実だと思った。
また、こうした独断専行と無責任体制、法令無視、疲弊した現場とそれがもたらす不祥事、国民の熱狂と無反省は、規模は違えど、今の日本にも「あるある」なんじゃないかと思えた。
今の日本と地続きかもしれない。
そうした意味でもやはり南京事件は振り返るべき史実だと思った。
また、南京事件の前段というべき海軍航空隊による南京への戦略爆撃、そして長江上での海軍による「残敵掃討」すなわち虐殺に詳しく触れているのも本書の特色か。
そこには、海軍は開明的・国際的であり、無謀な戦争には反対であったといういわゆる「海軍善玉論」への著者の強い批判が込められている。
日本という国、日本人という集団の過去、現在、未来についていろいろ考えさせられる内容だった。