御製繙譯論語 卷一 爲政第二(1)
(凡例)
・テキストは四庫全書本の『御製繙譯論語』を使用
・満文・満文和訳・漢文・漢文訓読・漢文現代語訳の順に掲載。
・満文はメーレンドルフ式ローマ字で転記、逐語訳はしないが、できるだけ直訳。
・満文和訳文、漢文現代語訳の[ ]内は管理人が補った場所。
・漢文では正字体を使用し、訓読と現代語訳では新字体を使用する。訓読文のルビは( )で示す。
・漢文訓読と漢文現代語訳は論語の世界と金谷治訳注『論語』を参考とした。
・適宜改行。原文の改行には必ずしも従わない。
・各句ごとに点線で区切りを入れる。
参考文献・Webサイト
(史料)
『御製繙譯論語』(『欽定繙譯五經四書』所収 四庫全書本 『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987)
朱熹『四書章句集注』 新編諸子集成(第一輯) 中華書局 1983
(訳注・研究書)
金谷治 訳注『論語』岩波文庫 1963(1999年再販本)
論語の世界
http://www.asahi-net.or.jp/%7Epd9t-ktym/rongo.html
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(満文)
dasan be yabuburengge jai fiyelen.
政を為さんとすること 第二編
(漢文)
爲政第二
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(満文)
fudzi hendume,erdemu i dasan be yabubuci ,duibuleci,hadaha usiha adali,terei bade bifi,geren usiha ukunjimbi.
先生がいうには、「徳の政治を行われるならば、たとえるなら、北辰のように、その場所にいながら、多くの星が取り囲みにやってくる」。
※hadaha usiha:北辰、北極星 ukunjimbi:取り囲みにやってくる、四方から寄り集まってくる
(漢文)
子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之、
子の曰わく、政を為すに徳を以てすれば、譬(たと)えば北辰の其の所に居て衆星のこれに共(むか)うがごとし。
先生がいわれた、「政治をするに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にいて、多くの星がその方向に向かって挨拶しているようになるものだ[人心がすっかり為政者に帰服する]」。
※衆星共之:朱熹の新注では共を「向」とみなし、「衆星のこれに共(むか)う」と読み、多くの星々が北極星をとりまいて北極星の方向を向いていることと解している。鄭注や金谷治訳注『論語』では共を「拱手」(手を前に組む挨拶)とみなし、多くの星々が北極星に挨拶していると解している。満洲語訳では朱熹の新注に従っている。
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(満文)
fudzi hendume,irgebun i nomun i ilan tanggū fiyelen be emu gisun de baktambuci ombi.gūnigan miosihon akū sehe be kai.
先生がいうには、「詩経の三百篇を一つの言葉に収めることができる。思い邪なしということであるぞ」。
※irgebun i nomun:『詩経』。三百十一篇(うち六篇は題名のみ伝わる)からなる中国古代の詩集。「三百篇」は概数。
(漢文)
子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。
子の曰わく、詩三百、一言以てこれを蔽(おお)う、曰わく思い邪(よこしま)なし。
先生がいわれた、「詩経の三百篇、ただ一言で包み込めば『心の思いに邪なし』だ」
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(満文)
fudzi hendume,dasan i yarhūdara,erun i teksilere ohode irgen guwere be bodocibe,girucun be sarkū.erdemu i yarhūdara,dorolon i teksilere, girucun be sambime wembi.
先生がいうには、「政治によって導き、刑罰によって整えたとしたならば民は[刑罰を]免れることをたくらみながらも、恥を知らない。徳によって導き、礼によって整えたならば、[民は]恥を知って教化される」。
※ohode:~とすれば、もし~だったら bodocibe:bodombi(謀る)+cibe(~にもかかわらず)たくらむにもかかわらず、たくらみつつwembi:(氷や雪が)融ける、教化される
(漢文)
子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格、
子の曰わく、これを道びくに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免(まぬが)れて恥ずることなし。これを道びくに徳を以てし、こてを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且(か)つ格(ただ)し。
先生がいわれた、「[法律など小手先の]政治で導き、刑罰で統制していくなら、人民は法の網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼で統制していくなら、道徳的な羞恥心を持ってその上に正しくなる」。