安田峰俊『民族がわかれば中国がわかる――帝国化する大国の実像』
安田峰俊『民族がわかれば中国がわかる――帝国化する大国の実像』(中公新書ラクレ, 832、中央公論新社、2025年)
中国の少数民族、最大の民族である漢族、および民族政策についての良き概説書。
中国政府・党による少数民族への配慮、少数民族への取り込みと「党の指導」を受け入れない者への抑圧についても事例を挙げて述べられている。
著者は「実のところ、中国では少数民族の全員が弾圧を受けているわけではない。中華人民共和国憲法は、「党の指導」を受け入れる限り諸民族の平等を保障しており、民族差別や抑圧を禁じているのだ。」と簡潔にまとめているが、この「「党の指導」を受け入れる限り」がミソだったりする。
各章ではチベット族、回族、ウイグル族、朝鮮族、満族、ナシ族、チワン族、客家、漢族の9グループと「中華民族」概念について取り上げ、3つのコラムではモンゴル族、中国の民族識別工作、華南の方言集団と「福州人」について語り、あとがきでは近年の中国による沖縄取り込み工作についても触れている。
個人的に面白かったのは以下の内容。
個人的には満族の章が非常に良くできていると思う。その歴史、近現代における状況がまとまった形で正確にわかりやすく紹介されている。
「私が過去に接した人たちの印象を書けば、満族は現在の中華人民共和国の体制については論評を避けがちであるいっぽう、自分たちが「中国」の主役であるという意識は強い。「中国は私たちが作った」という潜在的な自負や、中国の土地や文化への深い愛着を、一般の漢族以上に色濃く感じることもすくなくない。」というのも私の印象とおおむね一致する。
「コラム1 チンギス・ハンは「中華民族」か?──モンゴル族の難しい立場」に書かれた中国とモンゴルによる「チンギスハン」の争奪戦からは、中国におけるモンゴル族の難しい立場、中国における「モンゴル」の位置づけの複雑さが見てとれる。
「コラム2 中国の民族識別工作と「民族にならなかった人々」」とその他の箇所では、いろいろなエスニックグループの事例を挙げつつ、中国における「民族」とは「民族識別工作」によって生まれたある種の大雑把な政治的・行政的区分であって、当事者のアイデンティティや我々にとって一般的な「民族 ethnic group」概念とは必ずしも一致しないことにも触れている。これは重要ながら案外知られていない点なので、取り上げていただきありがたく思った。
また、少数民族において、「民族」文化などをブランド・イメージとして活用した観光化が行われている状況にも触れられている。
自分も東北で満族ブランド・イメージを利用した観光化の動きを見てきたことがあるのでこの部分は非常に興味深く読めた。
「コラム 3 華南の方言集団と「福州人」」では近年の海外の「福州人」同郷会の統一戦線工作(共産党への取り込み工作)への関与と政治化についても言及。
最後の漢族と「中華民族」の章では、近年の「漢服」ブームなどに見られる漢族ナショナリズムについても言及しており参考になる。
近代における「中華民族」という枠組の成立についてもわかりやすく説明されている。
そして習近平政権が少数民族、漢族を含めた漢族北方人への「同質化」を図っている状況についても言及。
著者は「少数民族は身分証のうえでの「○○族」という表記と、観光や党のイベントのために活用する民族衣装や食文化の伝統だけを残して、あとはすべて漢族と同じような存在になることが望ましい──。当局は明言こそしていないものの、現場で実際におこなわれている政策を見る限り、そう解釈せざるをえないところがある。」と述べているが誠にその通りだと思う。
あとがきで著者は、近年の中国の「沖縄取り込み」工作についても触れている。また、中国国内では「琉球人は中華民族である」などというデマが流れていることを例に挙げ、警鐘を鳴らしている。
著者の主張を読めば、こうした工作が中国国内の民族政策のいわば延長線であることがうかがえる。これまた参考になる視点だと思う。
中国の対外政策を見ると、いろいろな面で国内政策・国内状況の延長線上に位置することが多いが、こうした工作もまた例外ではないらしい。
著者が主張するとおり、中国を理解して彼らと向き合うことはつねに必要になる。
そのためには、中国において重要な要素である「民族」という存在とその概念をしっかり理解しておく必要があると思う。
その意味で、本書はその糸口になると思う。
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