「日日関係」と「中中関係」――両国外交の内向き性

最近の日中関係は、またややこしい状況になっている。もはや怒りすら湧かず、心は空っぽだ。怒りの火が燃え尽きて、真っ白な灰になったような感覚である。

最初に言っておくが、私は高市氏も中国側もどちら側にも立つつもりはない。どちらも擁護できないからだ。

日本の政治家・官僚は国内ばかりに目を向け、中国の政治家・官僚も同様に自国中心で動いている。どちらも、相手国との関係よりも、国内の「愛国者」の人気取りに腐心しているのだ。

日本では、選挙前のパフォーマンス的な政策や、外交・外国人問題を国内支持率のために利用する動きがその典型である。高市氏の「存立危機事態」発言も日頃の本音が出たものだろう。だが、内容はあまりに不勉強で、国内向けの政治ゲームとして外交を行っている印象を拭えない。これでは外交ではなく「内交」であろう。
この意味で、高市氏や自民党、官僚が考える「日中関係」は、実際には中国そのものへの関心が薄い「日日関係」に過ぎないのではないかと思える。

もちろん、日本には議会制民主主義という制度的抑制があるため、後述する中国のような権威主義・父権的体制ほど極端にはならない。しかし、本質的には似た構造であり、言うなれば「五十歩百歩」といえる。

一方、中国では、一度「上」が意思を示すと、下の者たちはこぞってそれに従い、競うように忠誠心を示す。上が慎重でも、下はさらに過剰に忠誠を示すため、行き過ぎた行動に走ることが多い。過去の反日デモや暴動、現在の対日強硬姿勢もこの構図で説明できる。出世や保身を優先し、合理性や客観的判断を脇に置いて、上から下まで一斉に同じ方向へ突っ走るのである。

これは、厳格な父親に認められようと兄弟が必死に競い合う姿に似ている。旧ソ連などの権威主義体制でも典型的に見られる現象であり、習近平体制も同様に父権的である。

結局のところ、中国の外交もまた「外交」というより、国内向け政治ゲームとしての「内交」にすぎない。中国の政治家・官僚が日々向き合っているのはほぼ100%国内政治であり、日本そのものへの関心はそれほど大きくない。中国が語る「中日関係」も、実際には国内の力関係、つまり「中中関係」の延長線上にあるのだ。

つまり、日本は「日日関係」に基づいて動き、中国は「中中関係」に基づいて動く。前提が異なる以上、両者がかみ合わないのは当然である。

結論としては平凡だが、日本としては中国の「中中関係」を冷静に観察しつつ、国内情勢の変化を気長に待ちながら、少しずつ対話や交流を積み重ねていくしかない。何しろ中国国内のゲームを日本から止めることはできないのだから。

そして日本人は、中国に対する国内の多様な意見を抑圧せず、議会制民主主義国家としての矜持を保ちつつ、冷静に中国に向き合うべきである。排外主義や勇ましい強硬論に流されて道を誤ることがあってはならない。

今回の出来事は、日本にとって「日中関係」――つまり「日日関係」ではなく両国間の関係――について深く考える機会である。