劉正愛『民族生成の歴史人類学――満洲・旗人・満族』


劉正愛『民族生成の歴史人類学――満洲・旗人・満族』風響社、2006年3月  

3ヶ月ほど前に発見し、最近読了。

中国における「民族」概念の特殊性やその特殊性からくる「満族アイデンティティ」の創造について、遼寧省および福建省福州、琴江村におけるフィールドワークの成果を交えつつ実証的に分析している。
遼寧省出身の著者は、政府主導の民族政策や少数民族文化をブランド化する観光開発の中で、これまで生活の中であまり意識されてこなかった「満族」が突然「発見」されていく過程に興味をもち、それが満族研究のきっかけとなったという。

まず序論と第一章で「民族」概念について論じ、中国における「民族」とは、国家の「民族識別工作」により分類されたもの、すなわち国家により承認された行政的区分であり、人類学の概念における民族 ethnic group とは異なることを指摘している。戸籍には民族の欄があり、その情報は国の行政管理や福利厚生(優遇政策)のために用いられる。本人の意識がどうあれ、通常は一生「○○族」として生きていかねばならない。
だが、著者は一方で、国家によって与えられた「民族」という枠組みによって漢族から差異化された満族(少数民族)が、被差別意識を持ちつつこれを逆用し、福利厚生の獲得や自己のアイデンティティの強化を図るしたたかな面もあることにも言及している。
次いで、著者は、これまでの先行研究においては満族を固有の実体(最初からずっとそのままの形で存在し続けているかのように)として捉える傾向が強く、アイデンティティの多様さへの分析が欠如していると指摘している。 

 

本文ではフィールドワークによる豊富な実例が紹介されており、満族はともすれば一元的に語られがちであるが、実際は満族の中でも八旗満洲と八旗漢軍の子孫、東北とそれ以外の地区(駐防八旗)における満族はアイデンティティの表出においてそれぞれかなり違った様相を見せており、決して一枚岩ではないことを明らかにしている。

 

満族の起源である八旗制度においても、女真族だけでなく、モンゴル人、漢人、朝鮮人など多様な要素を取り込んでおり、決して一元的ではない。

近代国家により「旗人」が「満族」として分類規定された後も、これまで「漢族」として登録していた人々が大量に「満族」へと登録換えしており、彼らはそれまでの「漢族」と現在の「満族」という二重の意識を持っている場合が多い。

特に、漢軍旗人の子孫は「旗人」でありながら「民人(一般漢人)」と同じ文化的起源を持つがゆえ、常に「満族」と「漢族」との間で揺れ動く存在であった。 

 さらに、新賓のヘトアラ城を例に、観光の場における「満族ブランド」の生成と満族観の再生産、それによって起こる満族アイデンティティの強化についても言及している。

著者の分析は以下のとおり。

政府や観光業者は観光開発のため、東北地方の断片的な文化要素と歴史記憶、歴史史料から必要なものを選択構成して、周囲の漢族とは異なる「満族の歴史・文化」という商品として売り出し、多くの観光客と経済利益を得る。
しかし、いったん「商品」として開発された「満族の歴史・文化」は、商品性を離れ、満族文化を表象する有力な手段となり、商品性は政治性を帯びるようになる。新たに開発された「満族の歴史・文化」は輝かしい清王朝と結び付けられ、国家により与えられた「少数民族」の枠を超え、 満族アイデンティティのよりどころとなった。

著者の視点は、満族には固定された特徴的アイデンティティは決して存在せず、「その多様さが特徴であるといわざるを得ない」というもので、かつ満族を固定、固有の実体としてではなく、常に形成的プロセスをたどっている動的実体として捉えている。

そして、中国では「正史」をはじめとする豊富な文字記録を有するがゆえに口承伝承・オーラルヒストリーが軽視されてきたとし、歴史学と人類学の交流、すなわち歴史人類学により民衆の生きた歴史の研究を行うことが満族研究にとって有効な方法となりうるとしている。

結論として著者は、国家による「民族」の創出と「作られる」ことへの少数民族側の積極的呼応、国家により「創出」された「民族」への少数民族の「想像」(漢族との文化的差異化)の側面という、二つあるいはそれ以上の力学を視野に入れて、はじめて中国における少数民族の本質を理解することができると主張する。

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 私も著者の意見には賛成。私自身も東北で生活していて、満族の友人知人も多いが、彼らのアイデンティティや民族意識は結局「人それぞれ」であって、はっきりした特徴は見受けられない。
政府主導の「満族ブランド」観光開発は、私も瀋陽への留学中につぶさに見聞している。
瀋陽故宮付近はこれまでは一般家屋が密集していたが、最近は「大清一条街」という清朝風の町並みやかつての城門が「復元」され、太平寺(錫伯家廟)や北陵などその他の史跡にもヌルハチやホンタイジの像が建てられている。
瀋陽故宮では清朝の儀式が再演され、見回りのガードマンは侍衛の服装を身にまとっている。八旗をプリントしたTシャツなど「満族風」みやげ物も増えた。
お店の屋号も「大清」・「八旗」・「満族」と銘打つものが激増。
瀋陽故宮と関外三陵は世界遺産となり、マスコミは清朝・満族史の宣伝に努める。
 東北の一般的な伝統料理をわざわざ「満族風味」として売り出す(私の彼女(漢族)いわく「全部普通の料理じゃないの?」)
などなど、数え上げればきりがない。
本書でも少し触れているが、過去の発展を支えた重厚長大型産業構造が行き詰まりを見せている東北にとり、観光開発は経済振興の至上命題である。

また、清朝という「過去の栄光」は、経済面で中国南方に立ち遅れている「東北人」にとっては非常に有効なスローガンであり、かつアイデンティティとなりうるという側面もある。 留学中も、清朝の故地でかつ「風水宝地」という瀋陽人のお国自慢を何度か聞かされたことがある(なんでも「ヌルハチが選んだ風水宝地だから日本と違って地震が起きない」そうで・・・・・・)

口承伝承・オーラルヒストリー軽視のところは、歴史を専攻したものとしては耳の痛い指摘。私もこれまでずっと文字史料とばかり取っ組みあってきたので、どうしても「士大夫」の視点から歴史を見てしまうところがある。それゆえに、本書の内容は非常に新鮮で、啓発される所が多かった。

機会があれば、今後も本書の内容をどんどん紹介していきたい。

 

フィールドワークに基づく情報量がものすごくて、一回や二回ではとても紹介しきれませんので。