金州博物館(旧館)
建物前には地元出身の満洲族の革命家である関向応(1902~1946)の騎馬像がある。
王永江は金州の出身で、内政面のブレーンとして張作霖を支えた人物である。
あと、今日発見したが、この墓誌の文章を執筆したのが柯劭忞(1850~1933『新元史』の編者)で右側の篆字を書いたのが金梁(1878~1962、奉天故宮(現瀋陽故宮)博物院院長など)というようにこの墓誌が当時の大学者たちによって書かれていることから、奉天軍閥や王永江の影響力の強さを見て取れる。
特に金梁、彼がまた謎めいた人物なんである。
彼は浙江杭州出身の満洲旗人で、清の遺臣として溥儀の復辟運動に関与しながら、一方で奉天軍閥や北洋政府の要職にもついていた。満洲国成立後は親日的態度をとってしばらくは溥儀のもとに仕えるものの、すぐに天津に隠棲。そこで詩文を発表したりしていたらしい。
そしてなんと中華人民共和国成立後も政府文物組顧問や文史館館員になり、1962年に85歳で天寿を全うしている。清、溥儀の小朝廷、北洋政府、奉天軍閥、満洲国、そして共産党政権へ。すごい人もいるものである。
彼についてはいずれまた詳しく取り上げてみたい。
あと、近現代史の展示ではロシアや日本への勇敢な抵抗や金州出身の革命家関向応についての展示が目立った。面白いのは関向応が子供の頃使っていた教科書(日本租借時代なので当然日本語)で、ページの上の方に鉛筆で「鬼子」の落書きがされていた。
館員の方々はみな親切で、熱烈歓迎してくれた。
入場料3元でこれだけのものが見られるのだからお得である。
見学者が自分しかいないというのはなんとももったいない!
写真は冒頭の外観の写真は2006年4月2日撮影、それ以外は同年6月4日の館内見学時に撮影。写真をクリックすると拡大表示されます。
【追記】
ブログの不具合で写真がうまく表示できなくなっていたので、WordPressのギャラリー機能を使用してもう一度写真を貼り直しました。その他、加筆修正を行いました。
なお、金州博物館は現在は郊外の新館に移転しています。(2014.3.25)
“金州博物館(旧館)” に対して4件のコメントがあります。
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金州にはそんな博物館があるんですか.知らなかったですけど…
>♀★妍祺 様
はい、金州人ですら知りません。
いい博物館なのにざんねんです。
2010.10.19 金州博物館に行ってきました。去年新しく建てられ広くてとてもきれいでした。電子的なものもありとても中国とは思えないほどでした。足で踏むと石畳の映像がが現れたり・・残念だったのは殆んど写真撮影ができなかったことです。できれば古い博物館の方がありがたかったかな。
はじめまして。
金州博物館のレポートを頂きありがとうございます。
趣向を凝らした博物館になっているようですね。恥ずかしながら当方は新しい博物館にはまだ行ったことがありません。早速来週にでも行ってみようと思います。