2020年10月17日 土曜日 雨 大勲位、読書など
朝、寒さで目が覚めたので、布団をもう一枚かぶって二度寝。
今日はずっと雨が降っていたので、日がな一日読書で過ごす。
午後、故中曽根康弘氏の葬儀に合わせて、QUEENの“Death on two legs(Dedicated to…)”を聴く。
自分の今の政治に対する気持ちにピッタリの曲。
私は故中曽根氏の首相時代をリアルタイムで知っている世代で、その歴史的評価は別にして、死去については感慨深いものがあった。
当然哀悼の意を表したいところではあるが、今回のように国から哀悼の意を強制されるのであれば話は別だ。
ましてや死者をダシにして、自分の権威権力の浸透を図るやり方は気に食わない。それこそ故人に対して失礼ではないのか。
心の中で哀悼の意を持ちつつ現政権のやり方には賛同しないというのが今の正直な気持ち。
まあ、自分はもともと他人が白だと言えば黒だと言い、右だと言えば左だと言う生来の天の邪鬼なのだが。
夕方頃、串田久治編著『天変地異はどう語られてきたかーー中国・日本・朝鮮・東南アジア』(東方選書53、東方書店、2020年)を読了。
地域的には中国、日本本土、琉球弧、朝鮮、東南アジア、思想的には儒教、仏教、イスラーム、現地の土着思想のさまざまな事例を視野に入れている。
天変地異の持つ禍福の二義性という視点が興味深い。
冒頭の串田久治氏による論考では、天変地異は失政に対する天の譴責であるという災異説をわかりやすく解説している。
琉球弧の事例に関する一色哲氏の論考を読んだ時は、自分も琉球弧の一部である奄美群島にルーツを持つこともあり、いろいろなことを考えさせられた。
個人的に面白かったのは辻高広氏の論考で、伝統的災異説に基づき地震発生後に修省詔を出して政治面での自己批判を行うが、一方で欧州の科学知識を吸収し、合理的な観点からも地震に迫ろうとしていた康熙帝の姿を浮き彫りにしている。
康熙帝の地震に関する科学知識だが、当時はもちろんプレートテクトニクス理論は知られておらず、現代から見れば誤っている。だが、単なる災異説・天人相関思想に終わらずに、地震をきっかけに政治刷新を打ち出したり、合理的に地震そのものの原因に迫ろうとする康熙帝の姿勢は注目に値する。
さて、現在は新型コロナウイルスという「天変地異」が世界を覆っているが、この「天変地異」は今後どのように語られていくのだろうか。そして、後世の人たちは新型コロナウイルスについての我々の「語り」をどのようにとらえるのだろうか。
日本脱出の日、2025年11月11日まであと1851日。