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満洲語&清朝史普及計画

 清の太祖ヌルハチの一代記『満洲実録』から、挿絵を抜き出してアップロード。
 画像は以下の文献・CD-ROMからの引用です。
 『清実録』中華書局 1985~87年
→『清実録』超星数字図書館CD-ROM(中華書局版を画像データ化) 

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 年代:甲申年(1584年、明万暦十二年)
 「スクスフ部要図」以外の
画像は『満洲実録』第一巻から

 ヌルハチは、甲申年(1584年、明万暦十二年)六月、ガハシャン=ハスフの敵討ちのため、四百人の兵を率い、ガハシャン=ハスフを殺したサムジャンとネシン Nesin (納申)らが立てこもるマルドゥン城 Mardun i hecen  (瑪爾墩城)を攻めた。マルドゥン城は交通の要衝であるダミン関 Damin furdan(代岷関、別名「二道関」)付近に位置し、ヌルハチの勢力圏であるスクスフ部とサルフ・撫順を結ぶ街道を見下ろす山城だった。ヌルハチとしてはぜひ取っておきたい城だっただろう。

スクスフ部要図
承志・杉山清彦「明末清初期マンジュ・フルン史蹟調査報告――2005年遼寧・吉林踏査行」、【地図2】(今西春秋「Jušen国域考」第1図を基に作成)

taidzu mardun i hecen de ambula afaha, 

・左枠
[満:taidzu mardun i hecen de ambula afaha,(太祖はマルドゥンの城にて
大いに戦った)]
[漢:太祖大戰瑪爾墩(太祖、瑪爾墩にて大いに戰えり)]
:        ]

・挿絵
 左側の城壁上で顔面に矢が当たった人物
 満:nesin(ネシン)
 漢:納申

 ヌルハチは、三輌の盾車で横隊を組んで進軍し、城の付近の道が狭い個所では三輌の盾車で縦隊を組み、城に近づいた。
 上の『満洲実録』の挿絵には、盾(遮蔽板)に車輪が装備され、それを兵士たちが押している様子が描かれているが、これが盾車である。当時の戦いでよく用いられた兵器であり、『満洲実録』の挿絵にも時折登場する。

 ヌルハチの軍勢は、盾車の後ろに隠れて、身を守りながらマルドゥン城に近づいたが、マルドゥン城の兵士が石を投げ落とし、さらには投石機を使用し、一輌目、二輌目の盾車が次々と破壊された。
 兵士たちは三輌目の盾車の後ろにすし詰め状態で縮こまり、とても戦うどころではなくなった。
 これを見たヌルハチは、城の近くの切り株の陰に隠れて矢を放ち、城主のネシンの顔面を射抜き、さらに続けて四人を射抜いた。
 ヌルハチは、城兵がいったん退避したのを見はからい、自分の軍勢を後ろに下げ、包囲戦へと切り替えた。城の水源を断ち切り、三日間包囲した後、四日目の夜に兵士の履物を脱がせて裸足にさせ、山をよじのぼらせて城を攻め取った。『満洲実録』の挿絵右上にも山をよじ登る兵士が描かれている。
 城主のネシンらは脱出して、ジャイフィアンの地へと逃走した。

 同年九月、スクスフ部の南に位置するドンゴ部 Donggoi aiman (棟鄂部。現遼寧省本渓市桓仁満族自治県、丹東市寛甸満族自治県)に内紛が発生したのを知ったヌルハチは、敗戦の危険を心配する部下の反対を押し切り、五百人の兵を率いてドンゴ部の主のアハイ=バヤン Ahai Bayan(阿海巴顔)を攻めた。
 アハイ=バヤンは四百人の兵を集め、居城のチギダ城 Cigida hoton (斉吉達城)に籠城した。ヌルハチは城を取り囲み、城楼や村を焼き払ったが、もう少しで落城というところで大雪が降ったので、兵を退かせた。ヌルハチは十二人の兵士を率いて自ら殿軍となり、煙が立ち込めた場所に伏兵として伏せ、城から出てきた城兵を不意討ちして四人を討ち取り、二つの鎧を得た。

 ヌルハチが引き返す途中に、ワンギヤ部 Wanggiyai aiman(完顔部。現遼寧省本渓市桓仁満族自治県、吉林省通化県) のスンジャチン=グワングン Sunjacin Guwanggun (遜扎秦光袞)という者がやってきて、自分は以前オンゴロ Onggolo (翁鄂洛)の者に捕らえられたことがあり、仇を討つのを助けて欲しいと要請してきた。
 ヌルハチはこの機に乗じてオンゴロ城を取ろうと考えて要請を受け入れ、予定になかったオンゴロ城を攻めることになった。
 ところが、スンジャチン=グワングン の兄の子のダイドゥ=メルゲン Daidu Mergen (岱度墨爾根)という者が密かに人を遣わしてオンゴロに知らせたので、オンゴロの者たちは前もってオンゴロ城 Onggoloi hoton(翁鄂洛城)に兵を集めており、ヌルハチの軍勢と激戦となった。
 ヌルハチはオンゴロ城の城楼や家屋に火を放ち、城を攻め立てた。ヌルハチも自ら民家の屋根に登り、そこから城内めがけて矢を射かけていた。その時城内のオルゴニ Orgoni (鄂爾果尼)という者が放った矢が頭に命中し、矢の先が兜を突き破って頭にまで達する傷を負ったが、矢を引きぬいて自分の弓につがえて、敵兵を射倒した。ヌルハチは、頭の傷から血が流れ落ちて足の裏にまで達したが、それでもなお退かずに戦おうとした。その時、火と煙の中に隠れていたロコ Loko (
洛科)という者が矢を放ち、矢はヌルハチの首に命中した。矢は首を覆っていた鎖かたびらもろとも首に食い込んだ。悪いことに、ヌルハチが矢を無理やり引き抜いたため、首の肉までえぐれてしまい、傷から血が吹き出して止まらなくなった。
 ヌルハチは敵に負傷を悟られることを恐れて、手で首の傷口を押えながらゆっくり屋根から降りて、部下二人の肩を借りた時、昏倒してしまった。
 その後も大量の出血が続き、気がついたり、気を失ったりを繰りかえし、翌日の未時(午後1時~3時)にようやく出血が止まった。
 大将が重体となったヌルハチの軍勢は兵を退いた。
 戦いに明け暮れ、常に戦場に身を置いたヌルハチの人生において、生死をさまようほどの重傷を負ったのはこの時一度きりであった。

  

 以上で、『満洲実録』第一巻の内容は終わりです。次回からは第二巻の挿絵と内容を紹介していきます。

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史料・参考文献

史料
『満洲実録』(『清実録』中華書局、1985~87年→『清実録』超星数字図書館CD-ROM(中華書局版を画像データ化))
今西春秋訳『満和和対訳満洲実録』刀水書房、1992年

参考文献
(中国語)
閻崇年『努爾哈赤伝』北京出版社、1983年
(日本語)
今西春秋「Jušen国域考」『東方学紀要』2、天理大学おやさと研究所、1967年
承志・杉山清彦「明末清初期マンジュ・フルン史蹟調査報告――2005年遼寧・吉林踏査行」『満族史研究』5、2006年
松浦茂『清の太祖 ヌルハチ』中国歴史人物選、第十一巻、白帝社、1995年