閻崇年『正説清朝十二帝』
本書は、昨年(2004年)中国中央電子台で放映されたシリーズ番組「清十二帝疑案」から再構成されたものである。本書では、著名な清朝史研究者である閻崇年氏が、清朝の十二人の皇帝の生涯について最新の研究成果を盛り込みつつ、軽妙な語り口でわかりやすく語っている。 各皇帝の項目の末尾に参考文献リストが付されているのもうれしい。
本書の特色は、民間で流布している伝説や時代劇(古装片)に見受けられる史実の誤りについて論証する部分である。そもそも本書の表紙のあおりが「歴史の真相を解き明かし、「お話」の間違いから抜け出す(解密歴史真相、走出「戯説」誤区)であるので、この部分には非常に力が入っている。
ここでは多すぎてとても全てを紹介しきれないので、本ブログでは、本書で私が興味を持ったところを書いていきたい。
まず、ヌルハチが明軍の紅夷砲による負傷がもとで亡くなったという説について、著者は「黄龍の幕の大頭目に砲弾が当たった」という史料を引用しつつも、断定は避けている。
ヌルハチ戦傷説は昨今ほとんど「定説」と化した感があるが、研究者としてはいまだ決定的な決め手に欠けるようである。
次に、順治帝の時代に皇太后(孝荘)がドルゴンと再婚したといういわゆる「太后下嫁」説について、肯定派の論点を一つ一つ論破している。
著者の主張を整理すると、
第一に、順治帝の即位は各政治勢力の妥協の結果であって、「太后下嫁」の結果ではない。
第二に、兄嫁婚(レヴィレート婚)の風俗が存在するからといって、それがただちに結婚の証拠となるわけではない。
第三に、史料がどれも信頼できないこと。「太后下嫁」を記載した史料はいずれも伝聞史料や野史、果ては敵対する南明政権関係者の史料であり、直接の証拠となる史料は見つかっていない。
第四に、ドルゴンの「皇父摂政王」という称号だけでは証拠にならない。
となり、皇太后がドルゴンを篭絡するために接近を図ったことは疑いないが、結婚の事実はないとする。
さらに、康煕帝末期の跡継ぎ争いから雍正年間にわたるさまざまな政治勢力の動向や遺詔の偽造の可能性についてわかりやすく解説し、雍正帝の即位に関するさまざまなうわさ(康煕帝の遺詔を偽造した、など)について検討し、偽造は証拠不十分としている。
それから、乾隆帝の晩年に専権を振るった和[王+申]について著者は、彼の語学の才能(彼は重臣たちの中でチベット語を理解する数少ない人物であった)や政治面での貢献、文学の才などを多面的に紹介し、従来の単純な「奸臣」イメージをつとめて排除している。
そのほか、同治帝梅毒説、光緒帝の死因などなど、清朝皇帝にまつわる多くの謎を、最新の研究と新発見の史料に基づいて一つ一つ解説している。
このように、著者の態度は一貫して「疑わしきは信ぜず」であり、決定的な根拠が見つからない限りつとめて断定は避けている。
これは著者の歴史研究者としての良心であろう。
閻崇年『正説清朝十二帝』中華書局 2005
なお、姉妹編として
王天有 審訂、許文継、陳時龍 著『正説明朝十六帝』中華書局 2005
余[シ+木]『正説清朝十二臣』中華書局 2005
がある。
本書の特色は、民間で流布している伝説や時代劇(古装片)に見受けられる史実の誤りについて論証する部分である。そもそも本書の表紙のあおりが「歴史の真相を解き明かし、「お話」の間違いから抜け出す(解密歴史真相、走出「戯説」誤区)であるので、この部分には非常に力が入っている。
ここでは多すぎてとても全てを紹介しきれないので、本ブログでは、本書で私が興味を持ったところを書いていきたい。
まず、ヌルハチが明軍の紅夷砲による負傷がもとで亡くなったという説について、著者は「黄龍の幕の大頭目に砲弾が当たった」という史料を引用しつつも、断定は避けている。
ヌルハチ戦傷説は昨今ほとんど「定説」と化した感があるが、研究者としてはいまだ決定的な決め手に欠けるようである。
次に、順治帝の時代に皇太后(孝荘)がドルゴンと再婚したといういわゆる「太后下嫁」説について、肯定派の論点を一つ一つ論破している。
著者の主張を整理すると、
第一に、順治帝の即位は各政治勢力の妥協の結果であって、「太后下嫁」の結果ではない。
第二に、兄嫁婚(レヴィレート婚)の風俗が存在するからといって、それがただちに結婚の証拠となるわけではない。
第三に、史料がどれも信頼できないこと。「太后下嫁」を記載した史料はいずれも伝聞史料や野史、果ては敵対する南明政権関係者の史料であり、直接の証拠となる史料は見つかっていない。
第四に、ドルゴンの「皇父摂政王」という称号だけでは証拠にならない。
となり、皇太后がドルゴンを篭絡するために接近を図ったことは疑いないが、結婚の事実はないとする。
さらに、康煕帝末期の跡継ぎ争いから雍正年間にわたるさまざまな政治勢力の動向や遺詔の偽造の可能性についてわかりやすく解説し、雍正帝の即位に関するさまざまなうわさ(康煕帝の遺詔を偽造した、など)について検討し、偽造は証拠不十分としている。
それから、乾隆帝の晩年に専権を振るった和[王+申]について著者は、彼の語学の才能(彼は重臣たちの中でチベット語を理解する数少ない人物であった)や政治面での貢献、文学の才などを多面的に紹介し、従来の単純な「奸臣」イメージをつとめて排除している。
そのほか、同治帝梅毒説、光緒帝の死因などなど、清朝皇帝にまつわる多くの謎を、最新の研究と新発見の史料に基づいて一つ一つ解説している。
このように、著者の態度は一貫して「疑わしきは信ぜず」であり、決定的な根拠が見つからない限りつとめて断定は避けている。
これは著者の歴史研究者としての良心であろう。
閻崇年『正説清朝十二帝』中華書局 2005
なお、姉妹編として
王天有 審訂、許文継、陳時龍 著『正説明朝十六帝』中華書局 2005
余[シ+木]『正説清朝十二臣』中華書局 2005
がある。