溥儀の満洲語 その三
溥儀の満洲語能力について、Amin様から別の史料をご教示いただきました。心より感謝申し上げます。
以下、ご教示いただいた史料を引用します。
溥儀の父の醇親王載灃(さいほう)(1883~1951)の評伝『最後的摂政王――載灃伝』の巻末に、1960年1月26日、周恩来が特赦を受けたばかりの溥儀と溥儀の叔父の載濤らと行った会見で、載灃に触れた部分が引用されている(p.286~p.287)。
その中で周恩来は載灃の満洲語能力について触れ、満文で書かれた文献資料の研究のため満文の専門家が求められているが、載灃のような満文に精通した人材を見つけるのは難しいと語り、それに対し載濤・溥儀共に以前満文を学んだことがあるが現在はすっかり忘れてしまったと語っている。以下原文を引用する。
周总理说:载沣的国学底子很深厚,又是清朝末年到民国,到日伪时代历史的活见证。他如果能够有更长的寿命,一定会对文史研究做出很好的贡献。
他又说:我们现在要研究用满文写的文献资料,十分需要满文专家。可是,像载沣那样精通满文的人才,现在不仅在外面很难找到,就是在爱新觉罗氏的家族成员中,恐怕也不一定能有第二位了。
载涛听了周总理的话,便插话说:“的确是这样的。到了晚清,满人中也很少有人去学满文。我当时虽然学过一阵,到现在已经全忘光了。”
溥仪接着说:“我当初也学过满文。但那是我学棏最槽糕的一门功课。现在是一点也看不懂了。”
周総理は「載灃は国学(引用者註:漢学、中国伝統の学問)の素養が非常に深く、また清朝末期から民国、日本・傀儡政権時代の歴史の生き証人でもあった。彼がもっと長生きできたなら、歴史文献(引用者註:原文では「文史」)の研究に大きく貢献できただろう」と語った。
彼はまた「我々は現在満文で書かれた文献資料を研究するため、満文の専門家を非常に必要としている。だが、載灃のような満文に精通した人材は、外部で見つけることも困難だし、愛新覚羅氏の家族の成員においても、おそらくこれに代わる者は出ないかもしれない」と語った。
載濤は周総理の話を聞き、口を挟んで「まさにそうです。清末には、満人の中にも満文を学ぼうとする者が少なくなりました。私も当時しばらく学んだことがありますが、今では全て忘れてしまいました」と語った。
溥儀は続けて「私も当時満文を学んだことがありますが、あれは私が学んだ中では最も成績の悪い科目でした。今では少しも読めません」と語った。
『最後的摂政王――載灃伝』、p.287、管理人訳
この問題に関しては、もっと色々な史料や文献を読んでみたい。特に、清末の皇族の伝記・回想録には他にも色々な手がかりがあるかもしれない。
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参考文献
凌冰『最後的摂政王――載灃伝』文化芸術出版社、2006年
“溥儀の満洲語 その三” に対して9件のコメントがあります。
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初めまして。
電羊齋さんの満州族や清朝の歴史についての記事に興味を持ちました。
私の勤務先にも元中国人(今は日本国籍)の満州族の女性がおり、また、趣味の写真撮影のモデルになってくれた人が満州族の留学生ということがあり、共通の話題をもてそうと感じました。
勤務先に居る女性は、何と溥儀の従兄弟のお孫さんで愛新覚羅の一族です。北京の現地法人従業員で日本人駐在員と結婚して来日し、日本の本社勤務となったという経歴の人です。職場では、ハスキーな声で怪しい日本語(冗談じゃなくて本当に旧満州国で使われた協和語の様な日本語)を話す面白いオバサンと思われてましたが、ある時ポツリと、中国出身だけど漢族じゃなくて満族で溥儀とも親戚だとカミングアウトしたので、職場ではみんな驚いてました。
それから、小規模のモデル撮影会でたまたま私に付いてくれたモデルさんが、中国瀋陽からの留学生で、満族のお嬢さんでした。というか、顔を見て「満族の方ですか?」との私の質問に「そうですけど、なんで分かるんですか?!」と驚いてました。
更に、居酒屋で飲んでいたら注文取りに来たアルバイトの店員さんが中国人で、やはり顔を見て「満族の方?」との質問に同様に「何で分かるんですか!」とオーバーアクションで驚いてました。
以上の様に3人の満族の女性と知り合いになりました。勤務先の女性は愛新覚羅氏族(北京出身)で、モデルの留学生は赫舎里氏族、居酒屋のバイトの店員さん(大連出身)は葉赫那拉氏族で3人共通して清朝史に出てくる人物の末裔であるのも凄い偶然だなと感じてます。
前置きが長くなりましたが、3人とも皇族とか八旗の有力氏族という満族の本流とも言える人達ですが、現在では当然のことながら、満州語を全く知りません。かろうじて知っているのは「アーマー」「エーメー」くらいで、基本会話表現の「シサイン」とか「バニハ」は知りませんでした。逆に、私が満州語の単語や簡単な会話表現を知っていることにかなり驚いてました。3人とも親の世代で既に家族内の使用言語は完全に漢語で、満州語の会話を聞いたこともないそうです。載濤や溥儀のいう通りで、清朝の末期の時点で満族の母語が漢語に置き換わっていたのが実態なんでしょうね。
こちらこそはじめまして。
私の知り合いにも日本で仕事をされている満洲族の方が何人かおられます。
満洲族の方は日本にも意外とたくさん来られているようです。
それにしても愛新覚羅氏、赫舎里氏、葉赫那拉氏とは豪華ですね。
モデルさんもいるんですね。ちなみに遼寧省は中国でも指折りの美人の産地でもあります。
>かろうじて知っているのは「アーマー」「エーメー」くらいで、基本会話表現の「シサイン」とか「バニハ」は知りませんでした。
私の知り合いの満洲族もほとんどがそんな感じです。母語は完全に漢語です。
自主的に満洲語を学んだり、有志を募って満洲語普及活動をしている方々もいますが、日常言語として満洲語を話している方は皆無です。
今後ともよろしくお願いいたします。
電羊齋様
亀レス気味のコメントに丁寧なレス頂きありがとうございます。
赫舎里氏の留学生のお嬢さんは、モデルさんなので写真を撮ってます。モデル事務所から公開許可を頂いている写真です。モデル事務所に採用されるだけあり、長身(170cm)で抜群のスタイルの持ち主です。
http://www.ps5.net/up/download/1286591458.jpg
日本語も殆ど完璧(一番驚いたのは日本語が堪能な外国人がよくやらかすストレートな表現の言葉遣いをしないこと)で物腰も穏やかで、顔立ちが日本人の標準と少し違うだけで、全く中国人とは思えない人でした。
一方、職場の同僚の女性は日本の国籍を取得済ですが、日本語があまり上手くないというこもあり、トラブルメーカーとかそういうことでありませんが、中国人そのものという感じです。前のコメントで書きましたとおり満州語はさっぱりですが、中国語は普通話と広東語のバイリンガルで香港の現地法人との従業員とは広東語で会話してます。
いえいえ、こちらこそコメントありがとうございます。
先程写真を拝見しましたが、確かにスタイル抜群ですね。世が世なら姫君だったかも。
東北(満洲)の日本語教育は実際かなりのレベルです。優秀な人ですと、日本に来る前にある程度は話せるようになってますね。
広東語は実際いい武器だと思います。最近は香港人や広東人も普通話が話せますが、やっぱりできる事なら広東語で話しかけたほうがいいらしいです。彼らの広東語への誇りと愛着は半端なものではありませんから。
電羊齋様
コメントを引っ張ってしまい恐縮です。これでこの記事へのコメントの最後とします。
> 世が世なら姫君だったかも。
殆ど同じことを勤務先の同僚の愛新覚羅氏の女性が、飲み会の時に酔った勢いで言ってました。たまたま、誰々が実は有名作家の親類とかそういう類のことを話題にしている時に
「あだしも百年早く生まれただったら清の国のお姫さんだったよ。でも、生まれたの遅くなたからただのオバサンなったけど、気楽でいいよ」と言ったものだから、かなり受けてました。
カメラ中年様
>「あだしも百年早く生まれただったら清の国のお姫さんだったよ。でも、生まれたの遅くなたからただのオバサンなったけど、気楽でいいよ」
ですよね。やっぱり一般庶民が一番気楽ですよ。
これからも清朝史や満洲族に関する記事を少しずつ書いていくつもりですので、よろしくお願いいたします。
我妈是满族人。根据我妈的说法,我的太姥爷多少还会点满语,但我姥爷就不怎么会说了。
这个论坛有一个07年的老帖子,从满语消亡谈到清朝的汉化问题(很长)
http://www.wangf.net/vbb/showthread.php?s=ef9cda93d2612f91048e8dc486ebd9d3&threadid=23153&perpage=100&pagenumber=1
好久不见了!
你的母亲的说法很值得参考。看来清末以后满文很快消亡。
谢谢介绍这个帖子,帖子的内容也很值得参考。
(很长,还没看完)
在帖子上引用的Mark Elliott的著作我还没看,因为我的英文水平很差。只看过日文和中文的梗概。
我需要努力吸取欧美满学研究的成果。