2022年7月24日 日曜日 晴れ 地震が多い国と「政治」が多い国

8時40分頃に起床。

午前中は祇園祭の後祭の山鉾巡行の中継を見る。
すごい人出。コロナ禍の中、大丈夫なのかと心配。複雑な気持ちで見ていた。

昼から午後にかけて、録画していた一週間分の『芋たこなんきん』を見る。
ストーリー、脚本が上手い。今週は、一見バラバラなピースが視聴者に提示され、それがうまくストーリーへと組み上がっていく展開が面白かった。
笑いと感動、美しい大阪弁、出演陣の名演が素晴らしい。
最初から見ておくんだった。ぜひブルーレイ化してほしい。

今日はなにをするでもなく、ノンビリと過ごした。
明日は午前中にゴミ出しと部屋の掃除。午後は仕事をする予定。

 

最近の中国での国粋主義的な動きは気がかり。
その動きは対欧米、対日へとじわじわ広がっている。

特に日本については、政府が尖閣諸島問題、台湾問題、歴史問題、福島第一原発の処理水問題その他で日本へ強気の言動を行っている。

そしてそれに反応してメディアが対日批判を強め、国粋主義煽動を行っている。

さらにはネット民もそれに反応して、日本人そのものへの侮辱・罵詈雑言などデマ・ヘイトスピーチともいえる書き込み・SNSでのつぶやき(これは日本のネトウヨの在日コリアン叩きに驚くほどそっくり!)を行い、政府・当局・メディアはこれらを取り締まることなく黙認し、日本叩きはますます加速している。政府・共産党にとって都合の悪い書き込みは瞬時に削除されているのに。

これは「上」すなわち習近平ら政府・中国共産党指導部への忖度もあるのだろう。すなわち「上」の対日政策の変化に当局・メディア、さらに民間が敏感に反応し、今なら日本を叩いても安全だと考えているということだろう。もしくは日本を叩いた方が「上」の覚えもめでたくなると考えているということだろう。

このように、他国と違い、中国ではこうした「政治」によってすべてが左右される。たとえ全く問題がなく、どんなに完璧な物事であっても、「政治」のご機嫌一つで突然台無しになってしまうケースは数え切れない。その上意思決定の動きは不透明で、裏向きに伏せられたトランプカードや麻雀牌みたいなもので予測が極めて難しい。

外交でいえば対日政策が急変して、それまで問題なく進んでいた交渉事・イベントがちゃぶ台返しで破棄となったケースは珍しくない。内政でいえば、その最も有名な例は文化大革命だろうが、それよりも小さな「政治」的変動はほぼ数年~10年おきに起きているといっていい。それまで黒だったものが白になり、白だったものが黒になる。

たとえば、胡錦濤時代までは、ネット・リアル言論は現在より自由で、共産党体制内での改革という条件付きではあるが数々の民主的改革についても議論されていたし、リベラルな知識人も大いに活躍していたが、習近平時代になり引き締めが一気に強まり、そうした議論は跡を絶ち、リベラルな知識人たちは沈黙するか海外に出ざるを得なくなった。その他の小さな変動は数え切れない。

中国のように、透明性・公開性・参加性・予測可能性に欠ける政治は、たとえ体制内の人間、体制に従順な人間、社会的に成功した人間のような「内側」の人間にとっては幸せなものであっても、体制から排除された人間、社会の底辺にいる人間、「政治」的に問題のある人間、そして我々外国人のような「外側」の人間にとっては厄介なものでしかない。

姿が見えにくく、対策も打ちにくく、自分の手ではどうすることもできないのにその結果だけを引き受けさせられる。しかも影響範囲と被害範囲も極めて広い。これではまるで地震のようなもの。そしてこの「政治」が活断層のように中国社会の津々浦々にまで遍在し、いつでも「政治」の大きな揺れを引き起こす。そしてその揺れは海外へも波及する。

我々「外側」の人間にできるのは、こうした「政治」の活断層を見定め、「政治」の大地震に備えることぐらいだろう。

日本は地震、台風、洪水など災害が非常に多い国である。だが、中国はそれと同じように「政治」が多い国だと思う。日本は地震が多すぎるが、中国は「政治」が多すぎる。

まとまっていないが、これが今の私の気持ちである。
日本が「政治が多い」国にならないことを祈りたい。

私も中国・中国語一本足打法ではいずれ行き詰まりそうな気がする。
「狡兎三窟」という言葉通り、複数の食い扶持、または逃げ道を作っておいたほうがいいのかもしれない。
やれやれだぜ!