中国関連書を読むときの三原則
これはあくまで私個人の三原則であり、主観的な感想ですが、ご参考になれば幸いです。
いわゆる「中国通」が書いた中国関連書を読むときの三原則
1.一次情報は参考にしろ。
2.著者の伝聞情報と憶測の部分は話半分、話十分の一程度にとらえておく。
3.結論部分は忘れろ。
1. 一次情報は参考にしろ。
本屋や図書館で見かける中国関連書だが、中国を賞賛する内容であれ、批判する内容であれ、掲載されている一次情報は正しい事が多い。よほどひどい本でもない限り、著者が直接見聞きした範囲の情報である一次情報はおおむね正確。自分の中国体験からみても、少なくとも大きく間違ってはいない内容が多い。
無論、記述には著者の主観もふくまれているので、完全な鵜呑みは禁物ではあるが、中国について知る上で参考にしてよいと思う。
2. 著者の伝聞情報と憶測の部分は話半分、話十分の一程度にとらえておく。
ただし、著者が間接的に聞いた情報、憶測については話半分、話十分の一程度にとらえておいたほうが無難。
いうまでもないが、中国とは広大、複雑な国であり、地域・民族・経済状態・社会階層も多種多様。「群盲象を撫でる」という言葉通り、著者が記述している「中国」とはあくまで著者が見聞きした中国、「中国の一部分」でしかないと肝に銘じるべき。
したがって、著者が「中国の一部分」から入手した伝聞情報、著者が「中国の一部分」を元にして行った憶測については、あまり当てにしない方が無難。
正しい場合もあるが、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」。
3.結論部分は忘れろ。
著者の立場が中国を賞賛するものであれ、批判するものであれ、掲載されている一次情報は正しい事が多い。
伝聞情報や憶測は正しかったり、間違っていたりするが、これは仕方がない。
ただ、著者がこれらを根拠に導き出した結論は、時折首をひねりたくなるものがある。
一般的な傾向として、日本の「中国通」の方々は、その見解・立場、社会的地位の上下そして思想の左右を問わず、中国に強い情念を持っている人が多い。どうも情念に突き動かされて筆がすべっている方が散見されるように思うのだが……。
特に、断定口調で「中国は◯◯だ!」、「中国はこうなる!」と書いてある本は要注意。
結論部分はあくまで「そういう考え方もあるんだな」という程度のとらえ方でよいし、乱暴な言い方をすれば、忘れてしまっても構わないと思う。
以上、あくまで個人の感想です。
“中国関連書を読むときの三原則” に対して2件のコメントがあります。
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電羊齋さんが口を酸っぱくして言っていることに同感です。
私が危惧しているのは、中国が経済発展する前から中国・華人社会だけではなくて、
韓国・朝鮮半島、インド・東南アジアでも同じような感じでものを述べている人が
多いことです。
私が好きな映画・音楽関連でも、アジア・中国に強い情念を持っている人が
「日本はアジア映画・音楽のトレンドから取り残されている」
という筆致で
商業誌を執筆しているのが悲しいですよ。
色々アジアの人の話を聞いたのですが、「現地の映画や音楽に興味ないのは日本・韓流
アメリカよりソフトパワーが弱いから相手にしない。」みたいな人が多かったです。
話を聞いていて「臺灣人のほうが理性的だ」と思いました。
日本においては
欧米には理性的な人が、アジアには親日・反日問わず情念・・・。
欧米だったら「あこがれのNY」という本と、「アメリカは田舎の国だ」という本が
併存してあるのに、アジア・中国は情念に駆られた人の本ばかりが並んでいるのは
悔しいです。
映画・音楽をアジア欧米色々楽しみたいのに、アジアだと個人的に警戒しなければ
いけない空気はいただけないと最近思います。
アジアに興味を持てない自分個人の考えが擡げつつありますが、
そういう強い情念のある人々が多いからかもしれません。
tomohiroさんのお気持ちはよくわかります。
私自身もアジアの文化は好きですし、アジア情勢にも興味津々なのですが、「情念」の強い人たちを見るとドン引きしてしまいます。
もちろん、「情念」的な人たちがアジア文化、アジア情勢の紹介に果たした功績は否定できませんが、最近の情勢を見るにつけ、そうした「情念」的な人たちの役割は終わりつつあるのではないかという気がします。
(これはあくまで私の個人的な感覚で、根拠があるわけではありませんが)
そろそろ肩の力を抜いてアジアに接してもよいのではと思うのですが、なかなか難しいようですね。