清の永陵とヘトゥ=アラ城(赫図阿拉城)(1996年夏撮影)
1996年夏、中国を一人旅した時に撮影した清の永陵とヘトゥ=アラ Hetu Ala 城(赫図阿拉城)(遼寧省撫順市新賓満族自治県)の写真です。
この間、実家にて発掘しました。
旅行中はフィルムに限りがあり、あまり写真を撮っておらず、今思えば残念です。
永陵はヌルハチの祖先の陵墓、ヘトゥ=アラ城はヌルハチの居城で清(後金)の最初の都となります。
96年当時はまだ永陵とその近辺も普通の田舎町といった雰囲気で、観光客もあまりいないようでした。
ヘトゥ=アラ城は川の合流点の平らな河岸段丘上に立地する山城で、内部には多くの人間を収容できる平らな郭があり、外部には河川と段丘勾配を利用した防御線を有し、街道と川筋を押さえる戦略上の要衝に位置することがよく見て取れました(満洲語のヘトゥ=アラ Hetu Ala は「平らな丘」の意)。
ヘトゥ=アラ城には「復原」された城門と史跡指定を示す石碑、史跡分布図(平面図)が立つのみでした。城内は農地化され、人が居住していましたが、おおよその縄張りはうかがい知ることができました。
Google Mapsによる現在の衛星写真(マイマップ。下記URL)をご参照ください。
http://g.co/maps/u9ryh
南側のマーカーがヌルハチ最初の居城フェ=アラ城、北側の家型マーカーがヘトゥ=アラ城です。
河川の合流点にある小高い丘に造成された山城は女真(ジュシェン)社会において伝統的な形式であったようで、金代女真の山城においても多数見られます。
当時撮影した写真をそのままスキャナで取り込んだものですので、見づらいところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
写真は全て1996年8月頃に撮影したものです。クリックすると拡大表示されます。
現在は観光開発され、余計な「復原」建築が建てられ、すっかり様子が変わっていますが……。
【参考ウェブサイト】現在の永陵とヘトゥ=アラ城の様子について。
清永陵文物管理所(中国語)
http://www.qingyongling.com/index.asp
赫图阿拉城(ヘトゥ=アラ城 中国語)
http://www.lnhtal.com/default.asp
『中国 遼寧省 ヌルハチのヘトゥアラ城と清永陵』 [遼寧省]のブログ・旅行記 by nao520さん/旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル
http://4travel.jp/travelogue/11001634
【参考文献】永陵とヘトゥ=アラ城の史跡調査及び観光開発の経緯について。
三宅理一『ヌルハチの都――満洲遺産のなりたちと変遷』ランダムハウス講談社、2009年2月
劉正愛『民族生成の歴史人類学――満洲・旗人・満族』風響社、2006年
承志・杉山清彦「明末清初期マンジュ・フルン史蹟調査報告――2005年遼寧・吉林踏査行」(『満族史研究』第5号、2006年)