「中国」とは何か――渡辺信一郎『中華の成立――唐代まで』シリーズ 中国の歴史1

LINEで送る
Pocket

渡辺信一郎『中華の成立──唐代まで』シリーズ 中国の歴史1、岩波新書、岩波書店、2019年11月

 

中国の世界での存在感の拡大、中国との交流の拡大とともに、我々にとっても中国への理解がますます必要となっている。

だが、日本での現状は誠にお寒い限りである。感情にまかせて中国への偏見を煽る嫌中論とトンデモ本が蔓延している。
なかでも目立つのが、「中国」と「中国人」という存在を単純に一元的にとらえ、あたかも「中国」全体が一つの意思を持ち、一人の人間の身体のように動いているように考えるものだ。
中国当局が、中国人がこう言ったから、こんなことをしたから中国はこうだ!中国人はケシカラン!と考え、中国全体への理解を拒んでしまう。
そして、単純で感情的な嫌中論が横行し、多様な顔を持つ中国の良い面も悪い面も理解できなくなっているのが現状だ。
(私の在中経験からいえば、中国は省が異なれば外国同然である)

 

2019年、岩波書店から新たに『シリーズ 中国の歴史』と銘打った全5巻の中国の通史シリーズの刊行が開始されたのはそうした意味で誠にタイムリーである。
本シリーズでは、これまでの王朝の移り変わりを中心とした単線的な記述を廃し、地域別・分野別の複線的な記述方式を採用している。
そのことにより、中国が有史以来常に多元性を持っていたこと、その多元性が現在の中国にもつながっていることを描き出そうとしている。

シリーズ全体の構成は下に引用したようになっている。

シリーズ構成

シリーズ構成(本書p.iii)

 

本書は、本シリーズの一冊目であり、先史時代から安史の乱までの約三千年にわたる中原世界、いわば「陸の中国」を舞台としている。

まず梁啓超の「中国史叙論」から説き起こし、「中国史」の取り扱う領域、日本における「知的閉塞状況」といえる中国理解の現状、そして本書の叙述範囲と叙述方針を語る。

本書で特徴的なのは、これまで概説書・教科書などで頻繁に使用されてきた用語への再考・再定義を行っていることである。
これまで頻繁に使用されてきた春秋戦国時代の「都市国家」、魏晋南北朝の「豪族」・「貴族」といった用語、さらには唐代の「均田制」、「租庸調制」、「府兵制」といった用語は後世の歴史家・研究者が用いた言葉であるとして安易に使用していない。
できる限り同時代の史料、考古学的成果にのっとり、当時の実態を紹介している。

本書では、中国の政治・社会を貫く特徴である支配者(精神労働)と庶民(生産労働)の社会的分業、貢納制、小農民社会、戸籍制度、郡県制、そして「天下」・「中国」観念の形成と変化が明快に語られる。
これらは王莽の新、後漢において「古典国制」として完成を迎え、以後の伝統中国の原型となったと位置づけられている。
古典国制は後の三国時代の魏、さらには鮮卑拓跋部の代人集団を中核とする北魏から北朝諸王朝、さらには隋唐へと受け継がれる。北魏の孝文帝の漢化政策もまた「古典国制」の導入であったとする。

著者の専門分野でもある中国楽制史についての記述も興味深かった。
唐代の府兵制下の府兵の軍楽が鮮卑軍楽に由来し、開元年間までは鮮卑語で歌われることもあったという。それは、府兵制が遠く北魏代人集団に淵源していることを物語るという。

本書は200ページあまりの新書サイズの中で約三千年にわたる歴史を取り扱っており、これまでの人物エピソード、王朝交代史中心の中国通史とは異なり、社会において時代を越えて貫かれる要素を重視している。
最新研究に基づき、要所要所をうまくまとめてある。
「中国」・「中華」というものがどのようにできあがってきたかを考える上で良書といえる。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください