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 満洲族の歌手、宋熙東のオリジナル曲。この間、コメント欄にてDamin様からYouku(中国の動画サイト)のリンクを教えて頂きました。感謝感激です。
 sunggari ula スンガリ・ウラ は松花江の満洲語名です。スンガリ・ウラ(松花江)は満洲族の聖なる山である長白山の天池に源を発し、東北の大地を貫流して黒龍江に合流し、海へと注ぐ河です。いわば満洲族の心のふるさとともいえる河です。
 ちなみに満洲語の sunggari スンガリは「天の川」、「銀河」を意味する言葉でもあります。ミュージックビデオの最後に天の川と満天の星々が登場するのは、それを意識してのことかもしれません。

 今回も和訳に挑戦してみました。自分の満洲語力はまだまだ至らない点が多く、うまく訳せているかどうか自信がありませんが、ご参考までに。
 ご指摘などがございましたら、コメント欄にてコメントをいただければ幸いです。

 

sunggari ula enduri 松花江神
歌詞:満洲語(一部漢語)

歌:宋熙東
作詞:宋熙東
作曲:宋熙東
ミュージックビデオ製作:完顔昕寧

Youkuリンク(本ブログでは動画プレイヤーが貼れませんのでリンクを貼ります) 
http://v.youku.com/v_show/id_XMzI5NDU2MDI0.html

Youkuは日本からアクセスできない場合もありますのでYouTubeも貼っておきます。

 

◯歌詞和訳

凡例
・歌詞はミュージックビデオの字幕に従う。
・満洲語歌詞は、ミュージックビデオの字幕ではメーレンドルフ式ローマ字のū(ウムラウト付u)をvと表記。本ブログでもこの方式に従う。
・歌詞は一番ごとに満洲語/漢語・和訳の順に表記。

・満洲語歌詞の文章の区切り(句読点)は、和訳では意味を損なわない範囲で改めた。
・翻訳にあたっては『御製増訂清文鑑』(『欽定四庫全書薈要』本影印、『欽定四庫全書薈要』、吉林出版集団有限責任公司、2005年)、『満洲語文語文典』(河内良弘著、清瀬義三郎則府、愛新覚羅烏拉熙春助編、京都大学学術出版会、1996年)を参考とした。
・和訳はあくまで暫定訳。今後も必要に応じて訂正する可能性あり。
(2012.2.4,2012.
2.5 和訳一部修正)

 

sunggari ula enduri 松花江神
スンガリ・ウラの神

simbe hairatai onggome muterakv
sini jalin ere jalan be jurcerakv
sunggari ula deri dekdere biya i adali
si tunggus jilgan be yar seme uculembi

君をいつまでも忘れられない
君のためなら一生あきらめない
スンガリ・ウラに浮かぶ月のように
君はツングースの歌声を流れるように歌う

emu moro ula muke be omiha manggi
mini dolo simbe ele kidure jiye
der sere labsan maksire erin de
arkan seme sini dere acahabi

一椀のスンガリ・ウラの水を飲むと
僕の心の中で君への想いがつのるんだ
真っ白い雪の舞うころ
ようやく君の顔を見れたんだ

深爱你让我无法忘记
为了你  我从来不曾放弃
松花江水映着那一轮红月亮
她就像是你唱着通古斯歌谣

愛してる、忘れようとしても忘れられない
君のためなら、僕は一度もあきらめたことがない
松花江の水面にあの赤い月が映る
君がツングースの歌声を歌い続けるように

uttu simbe buyere be si naranggi sara sarkv nio?
dobori dari sini baru uculembi
uttu simbe kidure be si naranggi sara sarkv nio?
udu tumen jalan duleke seme sinde inu uculembi

こんなにも君を愛しているのを、君はいったい知っているのか、知らないのか?
夜毎君に向けて歌う
こんなにも君を想っているのを、
君はいったい知っているのか、知らないのか?
幾万もの時代が過ぎ去ろうとも君へと歌う

uttu simbe buyere be si naranggi sara sarkv nio?
dobori dari sini baru uculembi
uttu simbe kidure be si naranggi sara sarkv nio?
udu tumen jalan duleke seme sinde inu uculembi

こんなにも君を愛しているのを、君はいったい知っているのか、知らないのか?
夜毎君に向けて歌う
こんなにも君を想っているのを、
君はいったい知っているのか、知らないのか?
幾万もの時代が過ぎ去ろうとも君へと歌う

uttu simbe buyere be si naranggi sara sarkv nio?
dobori dari sini baru uculembi
uttu simbe kidure be si naranggi sara sarkv nio?
udu tumen jalan duleke seme sinde inu uculembi

こんなにも君を愛しているのを、君はいったい知っているのか、知らないのか?
夜毎君に向けて歌う
こんなにも君を想っているのを、
君はいったい知っているのか、知らないのか?
幾万もの時代が過ぎ去ろうとも君へと歌う

udu tumen jalan duleke seme sinde inu uculembi

幾万もの時代が過ぎ去ろうとも君へと歌う

 

◯語彙解釈
sunggari ula 松花江:
満洲語歌詞の「sunggari ula」は「スンガリ・ウラ」と訳し、漢語歌詞の「松花江」は「松花江」と訳した。

hairatai:
hairakan(何とも惜しむべき)、hairambi(惜しむ、愛でる、いつくしむ)からの造語か?「名残惜しい」といった意味と思われる。

hairatai onggome muterakv:
「名残り惜しく忘れられない」という意味に解し、「いつまでも忘れられない」と意訳した。

ere jalan be jurcerakv:
ere jalan は直訳すると「この世代」。恐らく漢語の「這輩子」(今生、この一生)のような意味と思われる。ここでは漢語歌詞との整合性を考え、「一生あきらめない」と意訳した。

sunggari ula deri dekdere biya i adali:
直訳すると「スンガリ・ウラを通して浮かび出る月のように」。deri(~を経て、~を通して)は沿格助詞で、ある行動がある場所を通過・経由して行われる意を表す。現代満洲語・シベ語では奪格助詞(~から)として使われる場合が多い。ここでは漢語歌詞との整合性から前者の意と解釈し、「スンガリ・ウラに浮かぶ月のように」と訳した。

jilgan :
声、音。歌声を指していると考えられるので「歌声」と訳した。

yar seme:
yar seme は満洲語のオノマトペ。『御製増訂清文鑑』巻ニ、地部、地輿類第十一では「水細流貌(水が細長く流れる様)」、同第十四巻、人部五、言論類第四では「聯貫(立て続けに))」とある。ここでは「流れるように」と訳した。

mini dolo simbe ele kidure jiye:
直訳すると「僕の心中は君をますます想うのだ」。ここでは「僕の心の中で君への想いがつのるんだ」と意訳した。

sini dere acahabi:
直訳すると「君の顔に会えたのだ」。ここでは「君の顔を見れたんだ」と意訳。

naranggi:
結局、いったい、そもそも。漢語の「到底」に似た意味。

sara sarkv nio?:
直訳すると「知っている、知らないのか?」。漢語の「知道不知道?」に似た構文。
ここでは満洲語の語感を活かすため「知っているのか、知らないのか?」と訳した。naranggi sara sarkv nio?は漢語でいえば「到底知道不知道?」に近いかもしれない。

udu …… seme:
たとえ……であっても。

tumen jalan:
万代、万の時代。今回は「幾万もの時代」と意訳した。「千秋万代」、「千代に八千代に」といったような意味だろう。

inu:
も、~もまた、~でも、なおも。