33年ぶりの方向転換、または巣立ち
年齢のせいか、自分のこれまでの人生について考えることが多くなりました。
高校1年生の頃に中国史に関心を持ち始め、大学に入学して第二外国語として中国語を選択して以来、約33年間中国について学びつづけてきました。
中国についての本をむさぼるように読み、中国語を熱心に学び、大学学部と大学院修士課程では清朝史を専攻しました。
修士課程修了後は、働きながら中国語を少しずつ学び、お金を貯めて、30歳でようやく中国語学留学の夢を実現しました。
やがて、中国語を生業とするようになり、中国という国、中国人の方々とも多くのご縁ができました。
大いに奮闘し、大いに充実し、悔いなき人生でした。
しかし、今は、中国について考え、中国というテーマと格闘する気力はほとんどなくなりました。
いろいろなことを経験し、喜怒哀楽も希望も絶望も味わい、もはや当初の新鮮な気持ちが失われました。
あるいは、30年以上にわたり突っ走ってきたので「スタミナ」が切れたのかもしれません。
ことにここ最近は、いろいろあって中国について考えることすら辛くなり、メンタル面での不調を来しています。昔の自分が嘘のようです。
加えて、昨今の中国国内外の険悪な情勢、日本の社会への憂憤、将来への悩み、自分自身の悩みなども重なって、今月8月の第一週には完全にダウンしてしまい、何もできなくなりました。特にひどいときは洗濯物を干したり、食事を作ったり、椅子から立ち上がったり、トイレに行ったりすることさえ重労働に感じるほどでした。ゴミ出し、最低限の買い物、雑用以外は家に引きこもり、ひたすら眠るか、ネットをボーッと眺めるだけでした。
第一週の週末からは少しずつ回復しており、コロナウイルスワクチン接種に出かけたり、翻訳の仕事をしたり、下鴨納涼古本まつりに出かけたりもしました。
しかし、以前のような気力を取り戻すにはまだまだ時間がかかりそうです。あるいは以前のような気力は二度と戻ってこないのかもしれません。
また、この間も「方向転換」というブログ記事に書きましたが、以下の四点が大きな困難として立ち塞がっています。
第一に、中国に関する経験と能力の陳腐化。
第二に、中国に関する経験と能力の更新も不可能に近い。コロナ禍の状況にあっては現地を訪れることはおろか、知り合いの在日中国人と対面で会ったり教えを請うことも難しい。ZoomとSNSで中国人の方々と少し話し合うのがやっと。
第三に、私自身の性格が中国に不向き。中国の現在の政治・社会状況も踏まえれば、短気で無鉄砲で言いたいことを言う性格(中国語で言えば「炮筒子」)は中国と関わり合うのには不向き。
第四に、インボイス制度の導入。
そうしたわけで、現在、他分野への方向転換を考えています。当面は現在の中国語翻訳の仕事は続けるつもりですが、いずれは方向転換したいと考えてます。方向転換のためにも、今後は英語など他分野の勉強を強化していきたいと考えています。これまでの私のリソース配分比率は中国語と英語で7:3ぐらいでしたが、今後は英語の比率を徐々に上げ、まずは5:5、いずれは3:7ぐらいにしたいと考えています。
今後は中国・中国語に依存しない生き方を模索するつもりです。
2014年に「翻訳者引退・脱中国語依存」という記事を書いてからも、なんだかんだで翻訳の仕事を続けてきましたが、最近は気力的にも、環境的にも限界を迎えつつあります。
「狡兔三窟」という成語のように、いろいろな「逃げ道」を用意しておくのがいいのかもしれません。
そのためにはまず英語を学び、それから他分野にも少しずつ進出していきたいと思います。
以上、まとまりのない文章ですが、気力の喪失、四点の大きな困難により、私は方向転換をせざるをえなくなりました。
高校時代に中国史に関心を持ってから、約33年ぶりの方向転換。
今までお世話になってきた中国と中国語から「巣立つ」時が来たのかも知れません。