「本当に困っている人」?
例の女性支援団体叩きであるが、たとえ会計ミスがあるにしても、批判にしては明らかに度が過ぎている。会計ミスと意図的な「不正」の間には大きな距離があるし、会計ミスにしても軽微なものと重大なものなど程度の問題もある。
さらにいえば、ここ最近では、むしろそれらを口実に過去のオタク批判への報復、さらに進んで女性嫌悪にまで達しているように思う。
そして、例の女性支援団体について、一食1750円から3000円で「豪遊」だと当てこすっているツイートまで見かけるに至った。
日本も貧しくなったんですね。嘆息。
以上は話の枕で、ここからが本題だが、例の女性支援団体叩きにしても、これまでの女性叩き、フェミニスト叩き、障害者叩き、労働運動叩き、貧困叩き、生活保護叩き、福祉叩きにしても共通している点がある。
それは、助けるべきなのは従順で文句を言わない「かわいそうな」人間であるという考えであって、そこから少しでも外れたら容赦なく叩くということである。
少しでも「贅沢」をしたり、ましてや文句を言ったり、何か声を上げたりするのはもってのほか。そこでの「贅沢」とは、例えば1000円程度の食事であったり、生活保護費の範囲内のちょっとしたささやかな趣味であったりするが、それでも絶対に許されない。
これは、いわゆる「本当に困っている人」論法である。
「本当に困っている人」は従順でしおらしく、文句も言わず、絵に描いたような貧しい生活をしていて、最低限の生命維持以外の活動はしない、というのがわが日本の「普通の日本人」(1)なお、ここでの「普通の日本人」とは単にネトウヨを指しているのではなく、左右を問わない最大公約数的な日本人の思想、行動を指している。の想像である。
そういう人たちなら同情してやってもいい、それが「普通の日本人」の考えである(2)もっとも、大部分の「普通の日本人」は同情するだけでなにもしないが……。「普通の日本人」にとって、左右を問わない最大公約数的イデオロギーは「面倒事を起こさない」ことと「迷惑をかけない」である。
そして「普通の日本人」たちが言う「本当に困っている人」には生活保護基準のような明確な基準はないので、従順でしおらしくない奴は「困っていない」、文句を言う奴は「困っていない」、気に入らない奴は「困っていない」、ちょっとした趣味を持っていても「困っていない」になりがちである。
普通の日本人たちは考える。「彼らは困ってなんかいない」、「利権だ!」、「既得権だ!」、「本当に困っている人に申し訳がない」、「あいつらを助ける必要なんてない!」と。
要約すれば、「困っているように見えない奴は見殺しにしていい」ということになる。
そして、助けられる人間を助けず、助ける範囲をどんどん狭めていって、結局の所自分の首を絞め、社会の格差と分断を深め、さらには日本経済をじわじわ痛めつけているのが多くの日本人の現状である。
さて、これから書くことは私の単なる個人的な感想だが、問題の背景の一つとして日本でのこれまでの人権教育・啓発の問題点があるように思える。
いうまでもなく、人権とは、人間が誰しも生まれながらに平等に与えられているものである。
世界人権宣言 第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
『世界人権宣言』全文 公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本(2023年1月10日アクセス)
https://www.amnesty.or.jp/human-rights/what_is_human_rights/udhr.html
だが、これまで我々が学校で受け、政府・行政・メディアが流してきた人権教育・啓発では、人権は「かわいそうな」、「恵まれない」人たちを救うためのものであることを過度に強調していたように見受けられる。「かわいそうな」、「恵まれない」人たちにも人権があるから助けてあげよう、「困っている」人、「かわいそうな」人たちへの差別をなくそうという視点のみを大きく取り上げていた。無論それは悪いことではなかった。ただ一面的すぎた。
そのような人権の概念を注ぎ込まれて育った人間の中から、「かわいそうな」人たち、「本当に困っている人」なら救ってやってもいい、今の日本は平等で差別もないのだから、貧しいのは自己責任だ、わがままをいう奴は許さん、人権を言い立てる連中は何かを企んでいるに違いないと考える者が出てくるのはむしろ当然であろう。
だからこういう問題が出てくるのかなというのが現時点での自分の考えである。
今回の問題の背景にも、「本当に困っている人」論法、ひいてはこれまでの日本の人権教育・啓発の問題があるのではという気がする。
人権は「かわいそう」だから、「恵まれない」から、「困っている」から保護するわけではない。
繰り返しになるが、人権は人間が誰しも生まれながらに平等に与えられているものである。
全くまとまっていないが、自分の考えを書いてみた。
あとで書き直すかもしれない。
参考
世界人権宣言(全文) 公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本(2023年1月10日アクセス)
https://www.amnesty.or.jp/human-rights/what_is_human_rights/udhr.html
注